飯村丈三郎と穴澤清次郎

 

 

茨城新聞2021年6月1日号から「茨城近代化の父 飯村丈三郎の生涯」と題する連載が茨城地方史研究会会長・久信田喜一氏によって始まった。

飯村丈三郎(1853〜1927年)は自由民権運動に加わり県議会議長、衆院議員、茨城新聞第2代社長を務め、水戸線の開通に関わるなど多くの功績を残している。

今日(10日)で第10回だが、今後の展開を楽しみにしている。

 

飯村は生涯を通じて「報恩感謝」思想をもち、その精神を生かす教育の場として中学校の創立を考え、実務を穴澤清次郎(1878-1970)に任せた。

筑波町北条に生まれ、東京帝国大学法科を卒業して三井鉱山に入社し、三井系の数社に勤務したが、仲人であった飯村丈三郎に請われて茨城農工銀行取締役に就任し実績を上げた。近角常観(1870‐1941・真宗大谷派僧侶)が主宰する「求道学舎」の教えを受けている人間性を高く評価したからだ。

 

水戸藩藩校の弘道館の流れを汲む水戸学院を引き継ぐ形で、旧制私立茨城中学校(現在の茨城中学校・高等学校)の設立だが、1927(昭和2)年の完成を見ることなく、飯村は東京で市電の事故で他界した。

飯村亡きあと茨城中学の運営にあたった穴澤は4代目の校主(理事長)に就任(1946-1951)、建学の精神「報恩感謝」を伝える毎日であった。

 

 

校主を退任するにあたり、『霊に覚めたる奴隷』(木彫・1920)を寄贈した。

自分の還暦祝いとして購入した彫刻家・後藤清一の作品だ。

 

後藤清一27歳の作、己から解脱しようと苦悩する姿ともいえる。

 

何十年か前に茨城高校で拝見したが、現在どうなのかと思い訪ねた。

応対に出た職員はよく分からず。

 

 

探してくれた結果、地下の倉庫で見つかった。

実に残念なことでほこりが積もった忘れ去られた状態だ。

 

創立前から20数年間、建学の精神を伝え続けた穴澤清次郎の心を、学校関係者は大切にして頂きたいと思う。