雪村の碑@常陸太田市稲木町

 

 

雪村の碑

水戸八景「山寺晩鐘」の碑は「西山研修所」の手前150㍍辺り、山道の左側の階段を10㍍登った平坦地が旧久昌寺三昧堂檀林・妙見堂の跡地にある。

 

 

寒水石に「雪村」の二字は、横山大観の揮毫による。

《昭和19(1944)年「雪村顕彰会」に依って建立された》

 

雪村は室町時代後期・戦国時代の画僧で雪村周継とも称した。

常陸国部垂(現在の茨城県常陸大宮市)に佐竹氏の一族として生まれるが、幼くして夢窓疎石を開山とする正宗寺に入って修行する。

雪村周継の「周」の文字は夢窓派の通字。

 

禅僧として東国各地を遍歴し、後北条氏や蘆名氏など戦国大名の庇護を受けた。

その生涯には不明な点が多く、生没年もはっきりしないが、『潭底月図』に「行年八十歳継雪村之図」とあり、80歳まで現役の絵師であった。

 

 

雪村自画像(重要文化財) 大和文華館蔵

 

 

 

呂洞賓図(重要文化財、大和文華館蔵)

 

*江戸時代の尾形光琳は、雪村の自由で伸びやかな筆致や作品全体に溢れるユーモアを特に好んだのか、雪村を深く敬愛し私淑した。

*明治時代以降は、橋本雅邦や狩野芳崖らに影響を与え、岡倉覚三(天心)も雪村を高く評価している。

 

 

雪村碑記

この様な雪村の業績を伝えるべく、瑞竜町沢山の耕山寺に住んでいたことが有る、との縁で地元常陸太田に「雪村顕彰会」が結成され、昭和19(1944)年に「雪村碑」を建立するまでの経緯などが刻されてある。

 

撰文; 武藤常介雪村顕彰会会長 武藤常介

書: 福地徳

 

* 福地徳は「茨城新聞」の主筆を務めた。

歴史にも詳しく『水戸先賢烈士と其墳墓』(昭和4年・杉雨樓書屋)を著した。

能書家としても知られ、小鉾田市紅葉に在る「宮山楓軒頌徳碑」(昭和17年・1942) の撰文と書も担当した。子息の一人が洋画家の福地靖)

 

*常陸の雪村に関する研究書として、小川芋戦の孫・小川知二著『常陸時代の雪村』(中央公論美術出版 2004年)がある。