水戸八景「山寺晩鐘」@常陸太田市稲木
「水戸八景」は、水戸藩の第九代藩主烈公・徳川斉昭(1800ー1860)が天保年間(1833年頃)に領内の景勝地八ヵ所を選定し、藩内子弟の風月鑑賞と、八景巡りによる心身鍛錬とを意図して、石碑を建てた。
中国の「瀟湘八景」や日本の「近江八景」を手本に「夜雨」とか「落雁」などの八景名が、同じように使われている。
八景勝地の選定に当っては、烈公自身の意見が中心であったことは勿論だが、提出された案のうち、久昌寺の日華上人のが優れており、多く採用されたといわれている。
何れも自然石に、烈公自筆の雄渾な文字が刻まれている。
「山寺晩鐘」は旧久昌寺の三昧堂檀林(僧侶たちの学校)の跡地で、現在は「常陸太田市立西山研修所」地内の東端に建つ。
碑は縦長(高さ220㎝、横幅87㎝)の寒水石。
水戸八景を詠った烈公の和歌で『水戸烈公詩歌文集』に収められた「山寺晩鐘」。
◎けふも又くれぬと告げぬ鐘の音に身のおこたりをなげくおろかさ
◎つくづくと聞くにつけても山寺の霜夜の鐘の音ぞ淋しき
峯の上の東端で見晴らしの良い場所にも拘わらず、高く密に樹木が茂って見通しが良くないのは残念だ。
木を伐らないで密に伸ばし放題は、環境の保全に有効ではない




