祇園寺@水戸市八幡町11−69

 

 

 

心越禅師の廟

 

祇園寺の前身は、佐竹氏が開いた天徳寺という寺だった。

光圀が明から亡命し長崎に滞在していた東皐心越(とうこうしんえつ)禅師を迎え住持とした。

心越禅師は元禄8年(1695)に入寂し、その後正徳2年(1712)天徳寺は河和田村に移され、そのあとが寿昌山祇園寺として改号され、今日に至っている。

 

心越禅師在世中は祇園寺ではなかったが、水戸祇園寺の開山として、曹洞宗寿昌派の祖として崇敬されて来ている。

 

 

水戸市立博物館蔵の古地図《天和元(1681)年~天和2(1682)年)》

祇園寺は未だ「天徳寺」で隣接の八幡宮は移転しておらず、本法寺・本行寺などの寺域となっている。

 

 

1694年(元禄7年)建立の穢跡(えせき)金剛尊天堂。

 

 

 

 

「水戸戊辰殉難慰霊碑(恩光無辺碑)諸生党殉難碑(1934・昭和9年建立)

 

水戸藩士の墓地として、寛文6(1666)年光圀によって「常磐共有墓地」「酒門共有墓地」が定められたが、その以前に仏寺に葬られたものはそのままとしたので、創藩時からの藩士の墓所も多い。

幕末期の諸生党は市川氏・朝比奈氏など保守・門閥派で、改革派の天狗党と内乱は足掛け5年に及び、有為な人材は水戸からいなくなったと言われる。

維新後は朝敵として迫害の憂き目にあい、水戸を離れた家が多い。

昭和に入って、共に憂国の念からの争いとして殉難慰霊の動きとなった。

 

 

市川三左衛門の墓所

 

 

朝比奈弥太郎の墓所

 

近年の著名人では

 

 

洋画家の中村彝の墓地

 

 

漫画家の山田みのるの墓地。

 

 

飯村丈三郎(政治家・実業家・教育者1853年 - 1927年)の分骨墓地

祇園寺の興隆に寄与し、境内の一部に1927年(昭和2年)に水戸藩藩校の弘道館の流れを汲む水戸学院を引き継ぐ形で、旧制・私立茨城中学校(現在の茨城中学校・高等学校)を設立。

 

 

雲の詩人として知られる山村 暮鳥(やまむら ぼちょう・1884年- 1924年)

日本聖公会の伝道師であったが、江林寺墓地に眠る。

 

佐竹氏時代に建設されて水戸城橋詰門と推定される薬医門が1981年水戸一髙内に移築され現在に至るが、明治時代以降は位置や所有者が二転三転した。

 

 

1942年に小山田邸から祇園寺の正門として移築され、水戸一高に移されるまで祇園寺の山門として使用された。

 

 

 

春は桜、秋は紅葉の名所として知られるが「ドウダンツツジ」の古木は比類を見ない。