「その時・あなたは何処にいましたか?」

 

 

 

水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催されている「3.11とアーティスト:10年目の想像」展(2月20日~5月9日)、子供さんに対象に配布された「しおり」は、どこにいた?なにをしていた?おぼえていること、などの問いがあり、作品を見たり聞いたりする中で答えを感がるようになっている。

 

10年前の午後2時46分の大震災の発生時、水戸市見川町の雑木林に囲まれた「ギャラリーしえる」(2019年6月より休廊)にいた。

何方の展覧会なのかは忘れたが、突然グラグラときた。

画廊主の佐藤さんと「茨城は地震が多いが、大きいのは無いから大丈夫」などと高を括っているも、ますます大きくなった。壁面やテーブルに飾られている作品を押えたりしていたが、立っていられず座り込んだ。

時間を経過しても二波・三波と続いた。やっと、大きな揺れが止まって画廊内を見回すと、さほどの異常はなかった。とは言え、体験したこともない大地震。

おんぼろの我が家はどうだったろう?

自転車に乗り4キロ先の自宅を目指した。

「プラザホテル」辺りのバイパスに出ると被害を目の当りにする。

 

 

大谷石の塀が土台を残して倒壊しているのが、そこかしこ。

 

 

ショールームの大きなガラスが割れて散乱。

 

 

水戸駅の貨物ヤードは液状化で水浸し。

この辺りは千波湖を埋め立てた湿地帯。

 

潰れてしまったか?と心配した自宅の外観は異常なし。

 

 

前の幼稚園の煉瓦は、大きな亀裂が何か所も生じていた。

 

自宅の内部は食器棚の皿やコップが飛び出し壊れたようだが、概ね異常なしで安心した。

散乱した食器類はカミさんが片付けた後だった。

 

電気・水道も止まり、携帯も通じない。

ラジオ(電池式)と懐中電灯は有ったが、どのような放送がされていたか、詳しい記憶はない。

幸いなことに都市ガスは通じていたので暖を取り炎の光で明るくもあった。

家族が無事であったのは何よりだった。

 

翌朝、周辺を偵察に出かけた。

 

 

神崎寺の屋根の瓦は散乱、瓦屋根の家は大多数が被害を受けていた。

 

 

 

水戸駅の駅南・水戸市役所の周辺は埋め立て地、被害が大きかった。

 

 

橋などの接続点は大きな段差が生じて車は通れない。

 

 

東照宮の石垣が大きく崩れた。

 

12日の午後6時頃には電気も通じPC・電話・携帯も繋がった。

我が家の辺りは早めに復旧したが、東北地方の津波被害や津波によってもたらされた原発の事故が発生する、などなど歴史上でも稀有な災害となった。

 

*写真は2011年3月11日・12日デジカメでの撮影だが、その後パソコンを買替えデータの保存法が変わってオリジナルは行方不明。

ブログに掲載した写真を複写。

デジタルは便利だが、機器が変わったりすると見られない。

アナログが大切であることも実感。