山上コレクション「東洋美術展」@茨城県立美術博物館
1966年8月4日~30日
山上鎭夫さんは古美術の収集品を坂本万七写真研究所に撮影を依頼し『古陶小集』(1962・昭和37年・私家版)としてまとめられた。
自分のコレクションを図録に残しておきたい、との望みを実現されたことは蒐集家冥利につきる。
4年後の1966(昭和41)に茨城県民文化センターが開館する。
現在の「ザ・ヒロサワ・シティ会館」(2019年4月1日より命名権で変更)
同センター2階の展示棟に「県立美術博物館」が開館した。
現在は茨城県立の美術館・博物館として、茨城県近代美術館・茨城県つくば美術館・茨城県天心記念五浦美術館・茨城県陶芸美術館・茨城県立歴史館・ミュージアムパーク茨城県自然博物館の6館を数える。
戦後間もない茨城県には美術館が無く、画家の菊池五郎の奔走によって、1947(昭和22)年、磯浜町東光台の常陽明治念館《1931(昭和6)年開設・現「大洗町幕末と明治の博物館」》の一部を借り受け「茨城県立美術館」が開館した。
しかし、「自前の美術館を水戸に」の機運が高まったが予算などで実現しなかった。
苦肉の策として、県庁構内に1956(昭和31)年に完成予定の茨城県立図書館の2階県立美術館が併設されることに。
図書館の講堂予定の変更で、満足できる施設ではなかったが「大観・波山展」など画期的な特別展が開催され大きな反響をよんだ。
(*当時の県立図書館は旧県庁舎(現・県庁三の丸庁舎)構内で、現在は取り壊されて更地)
美術活動の拠点として戦前から親しまれていた「茨城会館」は公会堂としての性格が抜けきれず、独立の美術館模索の過程で県民文化センター2階の展示棟に「県立美術博物館」が開館した。
1階の一部には収蔵庫や学芸員室も備えた施設としては向上したが、作品の収集の予算はなく、作家或は民間の蒐集家を尋ね寄贈・寄託の協力を願う状況は続いた。
開館記念事業として「郷土美術作家展」「茨城古代文化展」などを開催された。
収蔵作品の数を補いため共催事業や古美術の山上氏と絵画・版画収集の志村氏のコレクションが著名であったことから、両氏の作品を出陳する、山上コレクション「東洋美術展」(8月4日~30日)と「現代世界版画展」が開かれた。
その後、独立の美術館として「茨城県近代美術館」が誕生したのは1988年、銅葺きの金ぴかであった屋根も緑青がふいて周囲の緑と調和した風景の一部となった。
『茨城の美術史』(1972年・茨城美術博物館)をひもとくと先人の努力・苦悩などがよく分かる。お陰で千波湖畔の素晴らしい環境で美術展や講演会など、多くの機会にふれられることは何と幸せなことだろう。

