水戸信願寺の「親鸞と恵心尼と信蓮房」@ 水戸市 緑町
「親鸞と妻の恵心尼と幼い信蓮房の三人」。
(1979年・渡辺卓凞・作)
新築された客殿前の芝生に再設置された。
東日本大震災までは本堂脇の石組の台の上に。
親鸞。
親鸞像と恵信尼・信蓮房像は別に鋳造されている。
恵信尼・信蓮房の二人像。
美術史家の山本 哲士さんは、『信願寺の親鸞上人たち。イタリア映画を見ているよう。』と題し、
『親鸞が越後から常陸国に向かった時、親鸞は39歳、恵信尼は30代前半、信蓮房は4歳だったそうだから、その様子を描いた彫刻像なのだろう。
3人のそれぞれの表情、動き、着衣の流れ。
マッシブ(量感)であり、しかも動きがある。
寡黙だけれど、一人ひとりにもストーリーがあり、そして、3人の関係も繊細。
正面から見て、心持ち 親鸞が前に出るような立ち姿。
恵信尼の振り切ったような眼差し。
俯き、一輪を握りしめる信蓮房。
いかにも渡辺さんらしい作品。
渡辺さんは、自分が茨城県の美術博物館に就職した時、嘱託でいらっしゃった方。ずっと県の広報関係の技官をされ、ポスターや図案の仕事をされた。
一方、彫刻家としての活動を続けられた。』
『自分は幼い頃からよくお目にかかっていた方だった。
実は渡辺さんは、僕の小さい頃をモデルにしてくれた作品もある。
ロダンや、その後の日本の近代彫刻家の作品がいろいろよぎる。
この作品があるこの信願寺の門柱は、彫刻家 後藤清一さんの作品。
深く親鸞に帰依した人だった。
この石の彫刻も、優しい形であり、空に向かって堂々としていた。
当然ながら、後藤先生と渡辺さんのこの彫刻をめぐる交流もあったのだろう。』
*山本さんのFB掲載文が適切と思い、引用させて戴きました。
(一部を抜粋)
信願寺の門柱。
彫刻家・後藤清一のデザインによる。
柱と言うより仏塔のようでもある。
山門・本堂・塀などが東日本大震災による損傷で撤去され更地となっている。
一日も早い復旧が望まれる。
●信願寺の創建は貞永元年(1232)、親鸞聖人の弟子の1人唯信房が開山したと伝えられる。
唯信房は橘村幡谷城主だった人物で、当時は幡谷次郎信勝と名乗り日頃から観音菩薩を信仰していた。建保4年(1216)、信勝の霊夢に観音菩薩の化身が立ち、その御告げにより鹿嶋神宮に参拝の為、幡谷村を訪れた親鸞一行を城に招き入れ弟子となり唯信という法名を授かったと云われる。
開山当時は幡谷に在ったが、何度か移転を繰り返し慶長10年(1605)に水戸城に西側(現在の信願寺町)に移り、延宝9年(1681)に火災で焼失すると水戸藩2代藩主徳川光圀の命により現在地に移された。
親鸞二十四輩第二十三番寺として信仰を集めている。
●渡辺卓凞(わたなべたくあき)大正6(1917)年水戸市生まれ。
東京美術学校卒、茨城県立美術館嘱託。









