旧大阪町@水戸市梅香1丁目・2丁目、南町2丁目・3丁目、大町2丁目・3丁目、北見町、金町1丁目。

 

 

 

水戸の台地を南北に縦断した唯一とも言える、大阪町。

1830(天保元)年の水戸地図。

 

 

 

2005年に最南端の崖上に建設された「Gコート梅香」

 

 

 

 

 

「この家を鴨ものぞくや仙波沼 子 規」碑

 

1889(明治22)年4月5日、正岡子規が友人と二人で旧制一高(現東大)の学友、菊池謙二郎宅を訪ねた際に詠んだ(生憎、謙二郎は上京して不在)。

水戸に市制が施行された年で、水戸はこの頃から変貌する。

 

 

 

北に向かって、

左は虚空蔵坂~鈴坂を経由し釜神町~神崎町に。

右は上梅香。

 

 

坂を登ると左右が旧「藤沢小路」。

古来より開けた地で神応平(かのうたいら)と呼ばれた。

小田原の北条氏が没落した際、藤沢遊行寺が兵火に遭って、住僧・他阿上人はこの地に逃れて寺を建立。

旧名に因み「藤澤山神応寺(時宗)」と称す。

以後、「藤沢小路」が町名に。

その他にも寺が多い地域だった。

 

 

左右ともに旧「裏南町」。

 

  

魚荘司(右)と畳屋(左)の道路をまたぐように水戸市の消防3分団の火の見櫓があった。(昭和20年代)。

3分団は組織変更で「2分団」と改称。

 

 

(ほぼ同じ所からの、現在地)

 

 

左右とも南町。

右側のコインパーキングは「岡崎家具店」跡地。

曲面の大きなウインドガラスが、目を引いた。

 

 

左右とも旧「仲町」

右側はマンション、以前は農林中金、その前は勧業銀行が在った。

 

 

 

左右ともに旧「大町」。

 

 

 

水戸第二高等学校(旧制の時は水戸高等女学校と呼ばれた)。

 

 

 

旧大阪町は、現在は北向きへの一方通行。

 

「大町」と言えば「水戸高等女学校」を指す時代もあった。

 

 

左右とも旧「田見小路」

 

 

北端が町名の由来となる大阪で、更に進めば、那珂川の渡しに至る。

水戸城下と太田街道を結ぶ奥州街道につながる要所。

降りきった辺りの町や「ふろの下」と記入されている。

つい最近までそう呼ばれており、奇妙な名前と思っていたが「楓露の下」という優雅な名前が起こりとか。

 

1830(天保元)年の水戸地図。

 

後に、東西方向に町が進化し、大阪町は分断されて、南端の一部の町名となった。

 

 

 

かなり急な坂、途中、展望が開ける。

 

 

下りきった辺り。

真直ぐ進めば、旧「渡船所」へ。

写真中央の青く見える「新・万代橋」が出来てから、このルートを通る車はすくない。

 

 

左側の細い道が古地図の「ふろの下」

古地図では、両側が赤く記されているから、町屋が連なっていた。

 

つい最近までそう呼ばれ、奇妙な名前と思っていたが「楓露の下」という優雅な名前が起こりとか。