横山大観と渡辺鼓堂
水戸市泉町の「タキタ画廊」1階ギャラリーで画人や名士の書簡類を展示した「手紙展」が開催されている。
富岡鐵齋
正岡子規から菊池仙湖(謙次郎)宛て。
横山大観より渡辺鼓堂宛て、大正14年(1925)9月1日付け。
横山大観《1868年(慶応4年 / 明治元年) - 1958年(昭和33年)》
水戸出身の日本画家。
画壇での評価と地位も高まり日本美術院を再興して11年目。
円熟の57歳の時、美術院研究生の五浦遠足についてテントや弁当などの準備を渡辺鼓堂に依頼したもの。
渡辺鼓堂(本名・実 1870-1944)岡山県出身。
上京して自由民権運動の論客として活躍していた中江兆民の薫陶を受ける。
その後、若くして「いはらき新聞」編集長、茨城毎日社長として、半世紀にわたり筆を振るった。
大観との付き合いは岡倉天心が五浦に日本美術院を移した明治39年(1906)頃からで大観や菱田春草を陰から支えた。
当時の水戸の大立者だった。
この展覧会を企画したのは、タキタ画廊の社長・滝田浩さん。
通常は貸画廊だが、今回は自分のコレクションを展示し、来廊の方々と交流したいと企画した。残念無念、開催の準備を終えた、本年1月23日に87歳で急逝した。
社長業の傍ら、水彩連盟会員として絵筆を振るい、古美術の収集家・水戸の町の歴史を知る語り部として幅広い活躍をされた。
水戸の昔話をよくされて「神崎寺に渡辺鼓堂のお墓が在るが、大きな寒水石に大観が墓碑銘を揮毫した見事な墓石、大観と鼓動の関係が如何に密だったかの証だね」。
「渡邊実之墓」
高さ160㎝・幅60㎝・厚さ36㎝くらいの大理石の自然石。
◎鼓堂は才能ある人を見抜く目があった。
無名の一農村画家でしかなかった小川芋銭《1868年 (慶応4年) - 1938年(昭和13年)》が『茨城日報』に投稿した漫画に目に留めた。
芋銭が28歳となった1896(明治29年)のこと。
以来、芋銭は鼓堂と生涯の交友を続けた。
◎鼓堂の、ひ孫にあたる渡辺彰吾さんは、画家として水戸を中心に活躍されている。








