七軒町@水戸市本町1丁目

 

 

 

水戸藩創世期、千波湖の湿地を埋め立て造成し上市の商人を下市に移す「寛永の田町越え」によって作られた町人町の入り口。

当初は上穀町と呼ばれたが、寛文3(1663)に70間の間口に商家7戸が住んだので「七軒町」の名前が付いた。

 

 

 

魂消橋

『常磐公園攬勝図誌』《明治18年・松平俊雄(雪江)が原画、編集等の制作》。

中央の2階建ての洋館は「巡査派出所」(交番)。

ここは後に、交番と消防署の支所となり、現在は民家。

 

 

 

明治42年の地図。

交番(2階建ての洋館)の左側が「竈神社」。

現在はもう少し奥に引き込んだ。

 

 

「水戸市公園緑地課千波湖管理室」のHPから。

大正から昭和にかけての千波湖改修が行われるまで、この辺りは千波湖との境界線だった。

 

 

 

「たまげばし」は水戸から江戸に至る水戸街道(江戸街道)、岩城・相馬に至る棚倉街道の起点。

 

 

「竈神社」鳥居と本殿。

水戸城内に三宝荒神として祀られていたが、1690年(元禄3年)徳川光圀に依って、この地に遷され、さらに、徳川斉昭によって三宝荒神から竈神社と変えた。

 

 

鳥居脇に欅の大木。

現在の推定樹齢は約400年(遷宮の頃に植えられたのであろう)

 

七軒町は延宝5年(1677)に古手(古着)専売の町となり、同7年には太物類(絹織物・麻織物)の専売権が与えられた。

このため、七軒町での六斎市(月6回の定期市)が開かれる日は他の町での古手・太物類の売買が禁止され、七軒町の市の日は大賑わいだったと言われる。

 

 

 

「井清呉服店」・笹島清兵衛は「田町越え」からの老舗。

 

しかし、七軒町の呉服商は徐々にさびれ、長らく暖簾を保った「井清」も1943(昭和18)年に廃業した。

 

 

 

現在の同地点。

古地図を片手に街を行けば、新らたなことを考える糸口がある。