水戸八景「青柳夜雨」@水戸市青柳町
「水戸八景」は、水戸藩の第九代藩主烈公徳川斉昭(1800ー1860)が天保年間(1833年頃)に領内の景勝地八ヵ所を選定し、藩内子弟の風月鑑賞と、八景巡りによる心身鍛錬とを意図して、石碑を建てたもの。
何れも自然石に、烈公自筆の雄渾な文字が刻まれている。
「青柳夜雨」
高さ103㎝、横幅120㎝。
台座は露出していない。
那珂川の河川改修で堤防が高くなってしまい、川面も見えないし、水戸の台地も望めない。
堤防に「青柳の渡し」の碑。
この辺りは水戸城下と太田街道を結ぶ奥州街道の要地である「青柳宿」。
1830(天保元)年の水戸地図。
船の渡し場(渡頭)があった。
1919(大正8)年に渡船に代わり、初代の「万代橋」が架けられた。
昭和9年の水戸市街図、当時は柳河村。
昭和15年6月2代目の前・万代橋に架け替え。
以来、2代目万代橋は3代目の現橋に架け替えられるまで55年間活躍した。
私の五軒小学校5年・6年生の水泳訓練はこの橋のたもとで行われた。
今では想像も出来ないだろうが、岸辺は砂地で透明な川だった。
台風10号による大水害《1986(昭和61)年8月》を教訓に、大幅な河川改修に依って川幅は倍以上に広がり堤防のかさ上げがなされた。
それに伴い1994(平成6)年に現在の3代目万代橋が完成した。
2代目万代橋の在ったところから旧道を望む。
人も車もほとんど見られない。
旧道に沿って「鹿島香取神社」が在る。
◎最初に鎮座した地は不明だが、度重なる那珂川の大洪水で後退すること3回。寛永13年遷宮ののち、享保11年(1726年)現在地に遷座した。
「青柳夜雨」碑は神社境内とも言える場所だが、那珂川の堤防が高くなって窪地となって、往時の面影を偲ぶことは出来ない。
旧景観(1920年代)。
金町高架橋から「青柳夜雨」方面。
中央の青い塔が「新万代橋」で斜張橋の主塔は橋面から40㍍。
2002年(平成14年)に開通した梅香トンネルと接続され、利便性は更に向上した。
雨にけぶる柳の下に佇み、烈公の心に思いを馳せのもこの時期ならではのすごし方かもしれない。
関連する古地図を捜し、改めて散策したい。










