水戸地方気象台@金町1-4-6

 

 

 

 

 

「水戸地方気象台」

建築家・堀口捨己(1895 - 1984)の設計で、昭和10年竣工した。

日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った建築家。

兄が気象学者だったためか、気象台・測候所の設計も多かった。

現存するのは「水戸気象台」だけらしい。

 

 

 

「水戸の城下町マップ」は「水府家お屋敷割図」文久元年(1861)を基に、水戸市が現行図に重ね合わせた観光地図。

 

 

常陸太田方面を望む北端に、明治10年「茨城師範学校」開校し、茨城尋常中学(現・水戸一高)や付属小学校も設置された。

 

 

「国道349号(太田街道)梅香トンネル」は「西町」の地下を通っている。

 

 

 

佐竹氏の頃は西の端だから、西町。

城下への入り口で市もたつ賑わいだったという。

後に商家は金町や田町越えで下市に移り、武家屋敷となった。

 

 

堀の西側は「鉄砲町」、現在は・泉町・五軒町・金町に分かれた。

鉄砲細工・鍛冶職人が多かったことに拠るが、後に鉄砲鍛冶は神崎に移し町家となった。

 

 

 

1886(明治19)年西町から大坂に合流する新道を建設される。

「梅香トンネル」に接続の「金町高架橋」が出来るまで、この写真の奥に見える坂道が大坂に合流して太田方面に至るメインの通路だった。

 

同年5月に南町が火元となった大火が発生し、南町・西町一帯が焼失。

 

翌年に区画整理を実施し紀州堀を埋め立て、西町と鉄砲町の間に道路を新設。

 

 

 

現在のその道路。

 

 

 

更に進むと、地形上から金町の通りには接続できずに、右と左に分かれる。

 

 

この後、1889(明治22)年に水戸に市制施行。

同年に水戸鉄道の水戸―小山間開通し水戸駅が新設される。(常磐線は未だ開通していない)など、水戸にとって大きな動きがあった。