梅香トンネル・紀州堀緑地@水戸市金町1丁目~梅香2丁目

 

 

 

 

馬の背状の台地を国道50号に沿って商店街が形成されている水戸市街。

南北に通過するルートが限られ、慢性的な渋滞だった。

 

道路の拡幅より地下が最短と、金町1丁目の国道349号(太田街道)と梅香2丁目の紀州堀をつなぐ「梅香トンネル(全長:607 m)」が1998年(平成10年)12月に着工。軟弱地盤と都市インフラが集中した場所での難工事にもかかわらず2002年(平成14年)3月に開通した。

 

結果、万代橋・本郷橋間の市街地通過の所要時間は約3分の1へ短縮された。

その後、この通路が一般化し、朝夕のラッシュ時に可なり渋滞しているのが現状だ。

 

 

開通に伴って車道の両端に整備されたのが「紀州堀緑地」。

水戸城外の第一外郭で「東の谷」、「紀州堀」と呼ぶとは知らなかた。

水戸徳川家の藩祖・徳川頼房の兄の徳川頼宜が名目上水戸藩を預かり、後に紀州藩の藩祖となったことに由来するとの説があるらしい。

 

 

 

「紀州堀緑地」には花壇・噴水・庭園・ベンチ・木の階段が2か所など、多くの施設がもうけられたが、その後の手入れが行き届かず。

 

この辺りに生まれ育ったものとして、散策しながら雑草の除去や竹林の若竹の処理などささやかに尽くしている。

 

 

 

 

網代茂著『水府巷談』(1986年)の89頁『虚空蔵坂界隈絵図・昭和十年から二十年絵図』福地靖画は当時を思い起こさせる。

 

 

 

虚空蔵坂。

右側の斜面、椿の頃は白と赤の藪椿が素晴らしい。

この手前に製氷工場もあった。

 

 

「虚空神社の碑」と小さな社。

 

図の上部「金名水・万梅の湯・金魚池」はトンネルの入り口辺り。

 

 

そこ辺りからの現在、深かった堀は埋め立てられて緑地に。

右側の道路が「旧・幸町」

 

 

 

「幸町」は対岸の鷹匠町の餌指し屋敷「餌指町」と呼ばれた時期も。

この碑の辺り、トンネルが出来る前は「見晴らし屋」と言う眺めの良い食堂が在った。その後2階建ての雑居ビル、飲食・絵画教室も。