備前堀@水戸市白梅~浜田

 

 

「伊奈備前守忠次」像(道明橋)

水戸藩初代藩主徳川頼房公の時代、灌漑用水と桜川・千波湖の洪水防止のため、伊奈備前守忠次(ただつぐ)に命じ築かれた用水堀なので「備前堀」と呼ばれる。

 

 

現在の備前堀周辺図

 

 

 

銷魂橋(たまげばし)魂消橋とも書かれ、呼び方は「たまげばし」。

水戸から江戸に至る水戸街道(江戸街道)、岩城・相馬に至る棚倉街道の起点。

旅立つものと家族がなどが、ここで別れを惜しんだことからこのが付いたといわれる。

城下と城外との境界をなし、高札が立った場所。

 

 

 

 

魂消橋

『常磐公園攬勝図誌』《明治18年・松平俊雄(雪江)が原画、編集等の制作》

脇を笠原水道の水道樋。

ここを通して下市の各町内に通水された。

 

 

 

浜田方面を望む(3月31日撮影)

櫻は満開だが、川底が見えるのは甚だ残念。

年間を通じて流れないのは、水利権が絡んでいるらしい。

 

 

 

堀沿いは「紺屋町」紺屋=染物屋が多かった。

今も何軒かの染物屋や呉服屋が在る。

 

 

 

 

 

 

金上山不動尊(瓦谷4-1)

加持祈祷の護摩を焚く修法に多くの人が集い、賑わったという。

現在は氏子も少なく、東関東大震災後の復旧はあまり進んでいない。

 

 

 

 

金刀比羅神社。

明和3年(1766)の大火で下市一帯が焼失後に火難救済の神として招来されたという。狛犬ではなく狛兎なのは、何故だろう。

 

 

 

社殿の脇に、昭和十三年「洪水記念」の碑。

80年前頃、下市は大きな洪水に見舞われた。

桜川の改修によってその不安は薄れたが、昨年のような大雨の際はかなりの危険がありえる。

 

 

 

文政5年(1826年)の古地図。

当時は千波湖から直接水を流していたが、大正から昭和にかけての千波湖改修により、桜川から取水するようになった。

 

「竈神社」の記載が見えるが現在地はもう少し奥に在る。

水戸城内に三宝荒神として祀られていたが、1690年(元禄3年)徳川光圀に依って、この地に遷され、さらに、徳川斉昭によって三宝荒神から竈神社と変えられた。

 

 

魂消橋から吉田神社を望む。

旧藤柄町(現・白梅4丁目)は城下への入り口として宿場町的な性格で両側には松並木が在った。

吉田、千波方面からの客を主にした問屋を兼ねた商店が多く、近年まで、その面影が偲ばれるお店が何軒かあった。

 

新型コロナウイルスの陽性患者が急増している。

早期の終息を願うが、影響は大きく生活様式も変わらざるをえない。

遠出しなくとも、地元を歩けば新発見がある。