「ブラヨーちゃん」328日(土)「雑貨と珈琲の店・たけうち」17時集合。

 

三菱銀行水戸支店跡~水雷稲荷神社~金刀比羅神社を歩きます。

 

 

 

参加自由・散策の後に店内で雑談会を開催、珈琲代は各自で負担して下さい。

 

郷土史家・網代茂(1926-2010)が新茨城タイムス社から発行した、水府3部作『水府巷談』(1986年)『水府異聞』(1989年)『水府綺談』(1992年)をテキストに歩きます。

 

 

 

 

三菱銀行水戸支店跡は旧川崎銀行水戸支店

『黒羽町から始まった為替方・川崎組 二代目川崎八郎右衛・のモニュメント。ドイツ人設計の泉町水戸支店』(『水府綺談』227頁~231頁)

 

涸沼の「海老澤河岸」(茨城町)出身の郷士・初代川崎八郎右衛が明治7年に為替取扱方を設立、日本橋に「川崎組」を開業した。

明治12年に茨城に進出、黒羽根町から泉町3丁目のこの地に移ったのは明治14年(1881)。

車寄せの在る石造りの洋風建築の新店舗が完成したのは明治42年(1909)、ドイツ人のエンデ・ベッグマン事務所の設計と伝えられる。

昭和2082日未明、米軍の水戸空襲によって外壁を残し焼失。

その後、再建されたが年月日は不明(何方かご存知でしょうか)。

 

 

明治末頃、水品電車は走っていない。

先隣りは薬種商・加納商店。

 

 

 

 

現在の建物、東側から。

 

 

水雷稲荷神社@水戸市泉町2-4

「明治、大正期の歓楽郷 富田、青木新地 芸者衆にモテた水雷稲荷」

(『水府巷談』330頁~333頁)

 

 

 

 

 

 

門柱と参道。

 

 

昭和35年、都市計画により参道が南向きから東向きになった際に建立された。

2㍍足らずの道幅の奥に鎮座。

 

 

明治時代の豪商の富田彦市が造り酒屋・伊勢富の屋敷を買収して「富田新地」とした際に鎮守として下市の蓮池から招来した。

近くの地に「富栄亭(ふえいてい)」と言う寄席も在ったようだ。

 

その後、青木新地と名を変えたが戦後の混乱で消滅。

水雷稲荷社のみが規模を縮小されても存続している。

氏子さんが何人で、何方が管理されているのか?

社殿は閉ざされ、朽ち果てようとしている。

 

明治二十八年奉納の手水石。

大正十年建立の『奉納 白狐 牡・牝』の碑。

狐の窖や猿小屋なども在ったらしい。

狐の棲み処とした溶岩の様な岩など。

東日本大震災の際に崩れてしまった石燈籠。

等が遺されている。

 

金刀比羅神社@水戸市泉町3-2-8

 

 

 

水府三部作に金刀比羅神社の記載はない。

望月芳雄『泉町物語』(1995年・泉町商店会)の64頁~66頁に加納薬局・川崎銀行・金刀比羅神社について記載されている。

 

 

神社入り口に掲載されている説明文。

 

 

*コロナウイルスの影響は終息の見込みが立ちません。

少なくとも半年以上の、長い時間を要すると思われます。

百年に一度の天災とも言えるでしょう。

不要不急の外出を控えるべき時期ですので、参加者各位が十二分に注意願います。

 

「ブラタモリ」的な街散歩と、ゆるいしばりの「夕靄会」の自由な発言の場の「パクリ」企画です。

毎月の最後の土曜日に開催したいと思っています。