偏奇館の跡地は?

 

 

荷風と東京―『断腸亭日乗』私註  – 川本 三郎  (著)(1996/9・都市出版)

 

永井荷風(1879‐1959)の著作を読んだことはないが、多才で浅草など下町の散策にも通じていた。
程度しかないが、散歩大好き人間として、荷風は大先達である。

 

 

旧・麻布市兵衛町1の「偏奇館(へんきかん・ぺんきかん)」と呼ばれるペンキ塗りの洋館に、1919年から1945年の東京大空襲で焼失するまで住まいとした。

 

 

 

 

(旧・麻布市兵衛町1は現在の地番は六本木1丁目)

 

 

偶々、上記の本を読んだら住友グループの博物館「泉屋博古館・分館」のすぐ隣に在ったことが分かった


京都の鹿ヶ谷の「泉屋博古館本館」は住友家のコレクション、特に青銅器のコレクションが有名で、一度だけだが訪ねた。


「泉屋博古館 ・分館」は旧住友本館の跡地の再開発により2002年秋に開館し、本館のコレクションをテーマごとに年に数回公開している。

 

 

地下鉄「六本木3丁目」で下車し、エスカレータで上がれば泉ガーデン。

 

 

昨年の4月開催の「孤高の画家 ・木島櫻谷」展を拝観した。

 

 

 

 

今年の3月に開催された「アートフェア―東京2019」分会場だったグランドタワー。
ここも再開発地の一郭だ。


港区教育委員会による「偏奇館跡」の碑が建てられている。
とのことだが、往時の地形を留めていない現在、往時を偲ぶ縁はない。

 

地図に在る「山形ホテル」について《荷風と東京―『断腸亭日乗』私註 》は食事を始め応接間代わりとして度々使用していることについて、『この時代、これだけ日常的に使いこなせたのは、アメリカ、フランスの留学体験のある荷風ならではである』としている。

 

外国人の宿泊者が多かった「山形ホテル」の主人・山形巌の子息が俳優の山形勲。
私の世代なら東映の時代劇の悪役で知られる名脇役だ。


荷風について『荷風というと晩年の奇人ぶりがよく語られますが、そのころの荷風は、実にお洒落な紳士でしたよ。昼になると食事に来ましたが、夏など、白い麻の服を着て、子供心にも、おしゃれなんだなと思いました』と述べている。

 

この件はホンの一部で四十二年に及ぶ『断腸亭日乗』を読み込み、どんなものを食べ、どんな映画を見、どんな女性と付き合っていたのか等々を600頁にわたり検証した大作。


物語ではないので、どの項から読もうと自由。

今では幻かもしれない世界に、暫くは浸ってみよう。
 
●『断腸亭日乗』は永井荷風の日記。


1917年(大正6年)9月16日から、死の前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、激動期の世相とそれらに対する批判を、詩人の季節感と共に綴り、読み物として近代史の資料としても、荷風最大の傑作とする見方もある。(Wikipedia)