香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~
日時:平成30年12月15日(土)13:30~16:30
場所:常陸大宮市文化センター小ホール
シンポジュウムは2部構成で。【基調講演】「香川敬三の足跡をたどる」
講 師:皇學館大学 文学部 国史学科 特別教授 上野 秀治氏。
「皇學館大学」が所蔵する豊富な資料に拠って香川敬三の履歴について説明された。
香川敬三(1839-1915)は現・常陸大宮市下伊勢畑の出身で、藤田東湖の門人となり尊攘運動に身を投じた。
文久3年(1863)に藩主に従って上洛するが脱藩し隠棲中の岩倉具視の知遇を得る。其の後は倒幕運動に身を投じ、戊辰戦争においては具視の子具定が務める幕府討伐の軍監となる。
明治3年(1870)に宮内省に採用され、翌年秋には岩倉使節団に随行し欧米を視察した。
多くの志士と同様に小林彦次郎という変名も使用したが、明治6年以降は香川敬三と名乗っている。
明治4年、皇后宮大夫として近侍し、大正期には皇太后宮大夫となった。
死去する大正4年(1915)に伯爵、従一位に叙せられ、水戸藩出身者では数少ない栄達を遂げた人物ながら地元でもあまり知られていない。
休憩後
【講演】「香川敬三と茨城の近代」
講 師:茨城県立歴史館 史料学芸部 主任研究員 石井 裕氏
①香川敬三と明治の水戸藩士
禄を離れ経済的に困窮していた旧水戸藩士に対し就職のあっせんや金銭的な援助の手を差し伸べた。
②香川敬三と「大日本史」
水戸家は財政上の問題で「大日本史」の完成と出版をあきらめていたが、水戸徳川家の評議員であった香川の財政的な援助によって完成に至った。
③香川敬三と田中光顕
旧土佐藩士であった田中光顕と香川は盟友で、共に旧水戸藩士の顕彰に尽力、昭和4年(1933)「常陽明治記念館」を設立した。
*天狗党忠魂碑・諸政党慰霊碑を建立、両派の和解に努めた。
④香川敬三の娘・志保子
英国に留学した娘の志保子は英語通訳と洋装を担当する女官として、父と共に明治天皇の皇后(昭憲皇太后)を長く支えた。
●幕末から明治にかけて、水戸藩は尊王攘夷運動を展開する中で改革派と門閥派(天狗と書生)が対立し内部抗争に明け暮れた歴史がある。
結果として、明治の新政府において活躍した人は数少なく「薩摩警部と茨城巡査」と言われる状況が続いた。
旧水戸藩士ながら、明治政府で活躍した稀有な人物を全く知らなかったのだが、2017年5月に開催された「Tabi-ぶらin常陸大宮辺り」に参加の後藤一彦さんが旧川番所の「聴水庵」に立ち『この辺りから香川敬三は水戸に下ったのだろうね』と対岸の伊勢畑を望む那珂川の川岸で、感慨深そうに話されたことがきっかけだった。
その後、香川敬三について知る機会がないままに過ぎたが、「香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~」に後藤さんと一緒に出席することが出来たのも何かの縁だろう。





