トルコ記念館@串本町「爺3人・紀伊半島1周の旅」其の6
太平洋に向けて突きだしたスロープ状の広い岩畳。
白く柔らかい岩は第3紀層の砂岩。
台風の影響で打ち寄せる荒波で全ては見えなかった。
海岸線に沿って、この日のお宿の串本を目指す。
港を隔てて、紀伊大島が目の前の宿。
大島を眺めて温泉に入り、飲んで食べて。
お互いに年を重ね、食事も酒も適量に。
宿からの朝焼け。
《ここは串本 向かいは大島 中をとりもつ 巡航船》の民謡「串本節」の故里。
今は紀伊大島とは巡航船ではなく、橋でつながっている。
台風が迫っているが、大島が防波堤になって、誠に穏やか。
左端が、樫野埼。
朝食を終えて、本州最南端の潮岬に。
台風の銀座通り、
「くしもと大橋」を渡って紀伊大島に。
トルコ記念館(大島の東端、樫野埼)。
1890年(明治23年)9月16日に紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国(現在のトルコ)エルトゥールル号が遭難。
乗組員650余名のうち地元住人の献身的な救助活動で69名が救出された。
艦の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示してある。
この救助のエピソードがトルコの教科書に記述があるらしい。
2008年にトルコに旅した際、小学生の団体から「コンイチハ」と声を掛けられたことがしばしば.
親日的な雰囲気はこの救助に基づくようだ。
トルコ軍艦遭難慰霊碑
記念館よりさらに先端寄りに建立。
訪日のトルコ人の団体さんが参拝に訪れていた。
アタテュルク像・トルコ共和国初代大統領。
トルコのどこでも、多様なアタテュルク像が在る。
樫野埼灯台
大島の東端、樫野の断崖に日本最古の石造り灯台。
樫野埼灯台旧官舎 ▽国登録有形文化財
灯台と旧官舎は、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、明治3年(1870年)に建設された。
橋杭岩
串本から大島に向かい約850m、列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っ。
規則的な並び方が橋の杭に似ていることからこの名が付いた。
海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭。
40余りの岩柱がそそり立つ「橋杭岩」。















