水戸市備前町北区 @水戸市泉町

 

 

現在(2018年7月)の京成百貨店駐車棟(左・西側)と高崎歯科(右・東側)から泉町と芸術館のタワーを望む。

備前町の名の起こりは、水戸藩草創期に附け家老として功労のあった中山備前守(なかやま びぜんのかみ)の家臣の屋敷17騎があったことに因る。
北は泉町、南は釜神町に至る南北走る細長い町だ。

それゆえ、町内会は便宜上であったが南区と北区に分かれていた。
同様に子供会も別で、相互の交流は無かった。

1971年(昭和46)の住居表示の変更で泉町と備前町に分割されたが、町内会は以前と同じ。

 

●住居表示の変更は1962年5月10日に施行された住居表示に関する法律に基く。町をわかりやすくし、郵便物を配達しやすくすることを目的にした制度。

しかしながら、変更に因る伝統的な組織や風土、慣習などへも影響を与えた。
そのため一部の市町村では旧町名復活の動きがあり、金沢のように実施された自治体もある。

新宿区の一部は実施しなかった地区もあり、住民の意識の違いもあったのだろう。水戸においてもその必要の是非が論じられたのであろうが、どの程度だったのか?実施後約50年を経ても、地域住民でさえ住居表示の、丁目・番・号を分かっている人は少ない。

 

1955年8月の上記地点の写真。(高橋撮影)
左側には酒店・貸本屋・卓球場・病院など約20世帯が在ったが、全て消滅し

京成百貨店の駐車場並びに店舗の一部に。