下田港

天城超え「伊豆の踊子」を辿る 其の7

 

 

 

『伊豆の踊子』では『下田では、「甲州屋という木賃宿は下田の北口をはいると直ぐだった。私は芸人達の後から屋根裏のような二階へ通った。天井がなく、街道に向った窓際に坐ると、屋根裏が頭につかえるのだった。…」

『…私は明日の朝の船で東京に帰らなければならないのだった。旅費がもうなくなっているのだ。学校の都合があると言ったので芸人達も強いて止めることは出来なかった。…』、主人公はここ下田で踊子達と分かれ、船で東京へ戻ることになるのだが、ひょんなことからお婆さんとその孫を上野の駅まで送り、上野から水戸行きの列車に乗せることを頼まれた。

話の筋には関係ないが、「水戸」と云う地名が登場したのは、何かの縁か。 

 

『汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで。私は欄干に凭れて沖の大島を一心に眺めていた。踊り子に別れたのは遠い昔であるような気持だった』とは言え乗船してしばらく経つと『・・・私は涙を出委(でまかせ)にしていた。頭が済んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何ものこらないような甘い快さだった。』

 

 

 

吾々の旅は下田に到着後『伊豆の踊子』からは離れ、市内を散策。

 

 

下田条約締結の地として、国の史跡に指定されている「了仙寺(りょうせんじ)」に参詣。

 

 

軒下に「ペリー陸戦隊了仙寺調練の図」(1856)の複製画が掛けられてある。

 

 

 

境内に隣接した了仙寺の宝物館「黒船ミュージアム」が在った。

了仙寺関連文書をはじめ、黒船・異文化交流関連史料、性と宗教との関わりをテーマにした「秘仏コレクション」などが展示されている。とのことだがパス。

 

 

下田は天然の良港。

湾が入り組み、内海は穏やか。

 

 

 

開国記念公園の「開国記念碑」。

 

 

昭和年54627日、当時のアメリカ合衆国カーター大統領が来日した記念碑。東京サミットで来日した大統領が、下田市内をオープンカーでパレード。 

 

 

下田 「甲州屋旅館」は現存し、営業が続いているとのことだが、探してみることはしなかった。

吾々の旅は天城峠を越えた所で『伊豆の踊子』を辿るのは終了した感じ。

文学の世界を旅するのは難しい、