旧白洲邸 武相荘・其の弐@東京都町田市能ヶ谷
武相荘の外観は撮影可だが、ミュージアム内は撮影できない。
ガレージにモニターが置かれ、白洲夫妻の概略を知ることが出来るDVDが映し出されている。
其の画面と、HPの写真を紹介。
1943年5月に鶴川に転居し、自給自足の農民生活を始めたのは次郎41歳、正子33歳。太平洋戦争中という状況下だが、田舎暮らしはかなり時代を先取りした決断だった。
戦後、次郎は吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」といわれた。
日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫いた。
いくつもの会社の経営に携わったが、本拠地は鶴川の「武相荘」。
ケンブリッジ留学時に身に着けた「カントリージェントルマン」の生き方を実践した。
晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。
遺言は「葬式無用、戒名不用」。
多くの人も願うだろうが、世間のしがらみも有り実践できる人は少ない。
まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年だった。
正子は青山二郎や小林秀雄との交流を通じて骨董蒐集家・随筆家として活躍した。
私も骨董の世界の先達として著者から多くのものを学んだ。
囲炉裏のある部屋に多くの蒐集品が展示されてある。
蒐集品はもとより、青山二郎を中心として小林秀雄や白洲正子らの交友録もそのひとつ。
北側の小部屋が正子の書斎。
書棚には、著書も並んでいた。
『栂尾高山寺 明恵上人』(講談社 1967)、『近江山河抄』(駸々堂出版 1974)、『かくれ里』(新潮社 1971)、『十一面観音巡礼』(新潮社 1975)、『西行』(新潮社 1988)
などを読み、それを手にして現地を旅することに憧れた。
僕は「白洲宗」の門徒であったとも言える。
奥座敷の着物など。
1985年に次郎が1998年に正子が死去。
2001年10月より記念館・資料館として一般公開された。
とは言え、おいそれと訪ねるのも躊躇するところがあって、今回やっと実現した。現場を見られて良かったというのが実感だが、これからさらに学びたいと思う。
●「白洲次郎と正子の愛した武相荘のもてなし」展
会期: 2017年4月5日(水)~5月9日(火)
会場: 日本橋三越本館5階 ギャラリー ライフ マイニング
次郎と正子の往時の暮らしぶりを再現し、白洲家愛用の品々を武相荘監修のもと当時に近い装いで展示されているらしい。
鶴川まで行かなくとも見られるのは嬉しいことだ。















