縄文土器にユキヤナギと沈丁花。
水戸市泉町1丁目の「フタエ屋呉服店」の店頭ウインドに“可憐な山草が土器に挿されて生けられてあったのを見た”のは1975年頃のことだ。
「きもの」が日常着であった最後の頃で、特に「フタエ屋」「大高呉服店」などは、晴れ着より普通の反物などを扱っていた。
フタエや店主の大和田さんの友人には趣味人が多く、その人たちの骨董コレクションを飾り、茨城山草会の墳本さんや長谷川さんの珍しい山野草が展示されたりした。
今では当たり前のように売られている山野草だが当時は珍しく、文化センターの展示室で春と秋に開催される「山草展」を見るのも楽しみだった。
その様な想い出と、
1月に國學院大學博物館の「火焔型土器のデザインと機能」展で信濃川の流域で出土する縄文時代中期を代表する「火焔土器」の大小の優品を見る機会を得たこと。
2月の「Tabi-ぶら in 美浦村」で念願の「陸平貝塚」を訪ねたこと。
「陸平貝塚」は1879年(明治12年)、日本人が初めて発掘調査が行なった遺跡で「日本考古学の原点」と称され、考古学史の観点からも重要な遺跡である。
往時のままの原風景を観、縄文人が口にした貝殻を数千年を経て掌に握った感触は時空を超えた繋がりを感じだった。
1月と2月の体験が重なって土器(縄文~弥生~土師器)などに花を挿すこと。
をもう少し広めたいと思うようになった。
数千年から千年前頃に至る「土器」に「花」は、今では特別なことではないが、さらに、多くの人に良さを感じてほしい。


