『暁斎鈍画』《1881(明治14)年発行》

 

 

 

 

河鍋 暁斎《かわなべ きょうさい、天保2年〈1831年〉―明治22年〈1889年〉》は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。

 

暁斎が先達の葛飾北斎(17601849年)に私淑したと言われる。

『北斎漫画』に対して暁斎は『暁斎漫画』や『暁斎鈍画』を描いた。

 

葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集『北斎漫画』は、全十五編が発行され人物、風俗、動植物、妖怪変化まで約4000図が描かれている。

 

それに対し『暁斎鈍画』は筆さばきや描写など北斎に見劣りしない。

 

 

 

踊りなどの風俗を描いたものは順当だが。

 

 

 

特骸骨を描いたページは生き生きしている。

 

「骸骨は己の姿・よく見よ」は古今東西の主題だ。

 

 

 

踊り狂って、

 

 

三味線を弾き。

 

首と首にひもをかけての引き合い。

 

 

囲碁に興じ。

 

 

奥付に蝙蝠の絵柄の中に「酒仲画鬼」の朱印。

 

明治14年の出版。

 

 

●茨城県古河出身と云う事で、幕末の女流日本画家の奥原晴湖(1837- 1913年)と並び称されたが、今では河鍋 暁斎の評価が格段に高い。

 

お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが暁斎に入門し、イギリスの暁斎を意味する「暁英」の号を与えられるほど2人の交流が親しかったことも知られている。

 

●号は「ぎょうさい」とは読まず「きょうさい」と読む。

それ以前の「狂斎」の号の「狂」を「暁」に改めたもの。

明治3年(1870年)に筆禍事件で捕えられたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。

狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称した。

その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。