NHKのテレビ日曜美術館「果てしなき夢~画狂老人、北斎の晩年~」

2017115日(日)  2000分~2045分を見た。

 

昨年の暮れ「すみだ北斎美術館」を訪ねたのがきっかけで、正月2日は隅田川沿いの葛飾北斎(1760年~1849年)に所縁のある地を巡るなど北斎への関心が高くなった。「日曜美術館」は北斎の晩年を重点に紹介したので面白かった。

 

住居や号を頻繁に変えた北斎は75歳から“画狂老人卍”の号を使い始めた。

茶も飲まず酒もたしなまず、ひたすら絵を描くことに打ち込んでいたが、道楽の息子が博打で大金を借金し、その為、貧乏であったことや、乱雑な小部屋で、炬燵に入ったまま一日中絵を描いていた。などのエピソードも紹介された。

 

飯島虚心が著した『葛飾北斎伝』は晩年の北斎の姿をリアルに描き出している。

 

 

北斎72歳頃からの『富嶽三十六景』

 

天保5年(1834年) 「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」の号を用いる。

 

 

 

『富嶽百景』を手がける。

 

 

 

信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』。

 

 

天保13年(1842年) 秋、初めて、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ねた。この時、鴻山は自宅に碧漪軒(へきいけん)を建て、北斎を厚遇した。

 

天保15年(1844年)に小布施に旅し、嘉永元年(1848年)まで滞在。

 

信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)、『怒涛図』『龍図』『鳳凰図』などを描く。

 

『怒涛図』

ダイナミックで86歳とは思えない活力があふれている。

 

 

 

 

『鳳凰図』

 

 

 

 

 

『龍図』龍の表情が可愛らしい。

 

 

 

『富士越龍図』 肉筆画(絹本着色)。

嘉永21月(嘉永二己酉年正月辰ノ日。1849年)、

落款は九十老人卍筆。死の3ヶ月ほど前、北斎最晩年の作。

幾何学的山容を見せる白い霊峰・富士の麓を巡り黒雲とともに昇天する龍に自らをなぞらえて、北斎は逝った。

 

嘉永2418日(1849510日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没する。享年90

墓所は台東区元浅草の誓教寺。

 

辞世の句は、

人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原

(その意、「人魂(ひとだま)になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」)。

 

炬燵背に画狂老人龍となる 阿然