北斎ゆかりの地を巡る 其の弐
隅田川沿いの墨堤通りは高速バス「水戸~東京線」の通り道。
向島インターを降りれば「言問団子」「長命寺の桜餅」旧水戸藩下屋敷の「墨田公園」を目にするが、道路の外側の街は見えない。
しかし、墨田公園から牛嶋神社さらには三囲神社~弘福寺~長命寺あたりの向嶋は社寺や洒落た料亭もあり、更には文人墨客の旧居跡も残る。
三囲神社(みめぐりじんじゃ)
天保14(1843年)の絵図には「三囲稲荷社」とあり、発端は稲荷神社。
寛政11(1799)年に行われた御開帳に北斎が描いた提灯12張りと大きな絵額が評判を呼んだというが、現存しないのは仕方がない事だろう。
越後屋の三井家では、享保年間(1716年~1735年)に三囲神社を江戸における守護社と定め、援助して以来、現在まで連綿と続いている。
池袋三越の前のライオン像も今では境内に。
三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたためだ。
三囲神社の境内には越後屋(三越)関連や狐・お稲荷さん等と共に多くの句碑や顕彰碑などが沢山あることも特徴だろう。
誰が何を目的とした碑か分からないし読めないのが並んでいる。
其角の句碑。
山吹も柳の糸のはらミかな 晋其角
三囲神社は隅田川を挟んで浅草側の山谷堀と向き合っている。
背景に三囲神社の鳥居が覗く。(歌川国貞画・1853)
対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。
三囲神社から弘福寺にかけては向嶋の花柳街。
芸者さんもいるので「向嶋墨堤組合」(検番)も在る。
弘福寺 黄檗宗の寺院。
現在は墨田公園内の牛嶋神社は以前にはこの辺りに在った。
長命寺
天台宗の寺院、敷地の大半は併設の幼稚園が占め本堂は小さい。
長命寺の傍にある「山本や」の「桜もち」
享保2(1717)年、墨堤の大山桜の葉を樽の中に塩漬けにして「桜もち」というものを考案し、長命寺の門前にて売り始め名物に。










