サントピア水戸の時代への挽歌 其の18

1984(昭和59)年に「直し屋」を開店

 

 

保守的な水戸の街に「渋谷パルコ」に次いで日本で二番目とも言われるファッションビル「サントピア・水戸」が1978(昭和53)年5月に誕生した際は地方都市の先進的な取り組みとして、大きな話題を呼んだ。

 

しかし、原宿や渋谷の先端的な店を揃えたにもかかわらず、売り上げが伴わない。1年を経過する頃から撤退店が続出して歯抜けの状態になってしまった。

その穴を埋めたのが、地元の若者達による「命がけ」の出店。

裸一貫で起業した僅かの45坪のユニークな品揃え店が競い合うことに。

 

中央からの出店の業者以上の売り上げとなり、サントピアの業績は瞬く間に回復し、全国的にも注目されるようになった。

 

階ごとの店舗の入れ替えやリニューアルも頻繁に行われる様になり、そこもお客さんの話題を呼び、来館者も増える好循環。

 

5階の全面的改装に伴って、企画室の用田貞夫さんから「お直し屋」を出店しないか」との打診を受けた。

 

1970年代末から「DCブランド」が社会的なブームとなった。

DC」とはデザイナーズ(Designer's & キャラクターズ(Character's)の略とされ、デザインが優先され、ワンサイズの品もあって、SMLさえ揃っていないことも。大は小を兼ね、着丈・袖丈など大きめに作られていた。

ズボンの丈は必ず調整しないと穿けないのは今でも同じだが。

 

買って直ぐに着たい人のため、ファッションビルにはサイズを調整する店が必要となっていたのだ。

 

用田さんの話を聞いて出来そうな気がした。

それ以上に、服や衣類を含めた「モノ」全般に対し創意や工夫で大切にする心を伝える場にしたいとの思いもあった。

話を受けて1ヶ月程度の1984(昭和59)年310日、改装なった「サントピア」の5階に「直し屋」が開業した。

 

兼任の業務なので、技術者を配し自分は店長と言う管理業務で出来ると考えたのがいささか軽はずみ。

開店1週間を過ぎる頃から後悔した。

とは言え、それから約20年間、場所は5階から7階に更には地下、そして再び7階と移動を重ねたが、「ファッションビル」の中から街や世相を観察できたことはいい体験であったことは間違いない。