「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の⑪

 

企画室長・用田貞夫さん

 

  

2016710日・千波湖ストリートライブでの用田貞夫さん)

 

ダイエー水戸店誘致運動の前に、南町2丁目の商店街の有志によって店舗の内装やチラシなどの広告宣伝を業務とする株式会社「共同企画」が発足していた。

業者に発注するより内製化して価格や質を良くとの考えで、相馬画材の相馬武男さんが社長に就任した。

相馬さんはデザイン関係に明るく、商店街の知識も豊富な勉強家だった。

 

ダイエー水戸店の開店が1973年(昭和48年)、遡ること5年前頃と思う。

社員はインテリア関連3名、グラフィックが1名程だった。

創業時ではなく、幾分たってから用田貞夫さんが入社した。

同じ頃、ビル開発を業務とする「JSD」を設立され、相馬さんや用田さんはそちらに移り、東京との折衝が大きな仕事になった。

 

「サントピア」が竣工したが、建設費の支払いが出来ず、開店が危ぶまれたが、オープンにこぎつけた。

 

資金面は常陽銀行から出向した社長が担当することで解決したが、広告宣伝・テナントの誘致・サウスコアのイベント運営、総務・経理以外の営業と企画の全てをまかされたのが「企画室」。

開店に力を貸したバツの松本社長の戦略を下に室長の用田貞夫さんは東京と地元を奔走サントピア運営の中枢を担う様になった。

 

用田貞夫さんは「チーフ」と呼ばれ、次第にサントピアの顏となった。

業務の拡大につれ社員も増えた。

サントピア水戸の成功を基に、サントピア○○と、他の都市に作ることなども考えたらしいが実現には至らなかった。

サントピアの成功により、企画室を発展させ広告宣伝・コンサルタント業務とする(株)イッツを設立し社長となった。

 

サンントピアの業務を継承しつつ、新たな業務にも乗り出した。

2005年(平成17年)1111日に開業した「イオンモール水戸内原」の開発にも関わったが、体調を崩し療養に専念。その後、会社は消滅した。

サントピアは2005年に閉店、店も人もばらばらとなった。

 

協同企画~サントピア企画室は、バブルの真っただ中、商店街に活気があり、大型店の誘致と商店街との共栄共存。

そんな状況の下、用田さんは八面六臂の活躍だった。

 

病を得た後、リハビリに専念していた用田さんが、昨年あたりから人前にも顔を出すようになった。

 

 

 

マエダ ヨウイチさんが中心になって千波湖湖畔・好文カフェ前のデッキで開催される「千波湖ストリートライブ」にギターを片手に演奏している。

 
 

 

 

用田チーフを囲んでサントピアOBin千波湖。

Kショップ・木村さん。大内本舗・大内さん。チームK・加藤

保さん、染谷千浩さん。

 

用田貞夫さん、大内勝さん。

 
  

加藤 保さん、荻野健三さん。

(写真はいずれも加藤保さんのFBより。2016710日)