明治35年創業の老舗の「伊勢屋」
牛久に行くなら昼飯は鰻にしようと山本さんと決めていた。
常磐高速が無い頃、国道6号・通称水戸街道、牛久沼が見える辺りは鰻屋の看板が目立ち、立ち寄ることがあった。
その記憶の場所は、高速道路や6号国道の拡張によって風景は大分変ったが、沼の周囲に名残はある。
記憶に残る店の一軒に入ったのが「蒲焼 伊勢屋」
鰻や天麩羅は気どらない「丼」が好みだが、昨今は具が大きく蓋が出来ないので、蓋無しの店が多い。少し蒸してから食べるのが旨いのに、手抜きの店が増えたのは残念。
とにかく、ウナギをたっぷりと云う事で今回は「うな重」に。
うな重、肝吸い付き。
鯉こく
他所の土地ではともかく、牛久では「鯉こく」は外せない。
輪切りの鯉の腹回りの脂と味噌味の融合。
鱗が若干残るかの如くの、しゃりっとした皮の食感。
窓越しに「まさに牛久沼」とも言うべき景色を眺め、後藤清一さんと小川芋銭にまつわる話をしながら鯉と鰻を堪能した。
帰りしな、会計の際にご主人に問うと「創業は明治35年です。昔は鰻屋が20軒以上在りましたが、今は半分以下です」
●牛久沼の周辺の地方自治体は全て「竜ヶ崎市」と云う事や「うな丼」は牛久沼が発祥の地、と云う話は、今回の旅から戻って知った。参考までに。
うな丼発案者「大久保今助」と「牛久沼」
江戸時代後期に江戸日本橋堺町に芝居の金方(資金を出す人)で、鰻の大好きな大久保今助という人物がいた。故郷である現在の茨城県常陸太田市に帰る途中、水戸街道を牛久沼まで来て、茶店で渡し船を待っているときに鰻が食べたくな り、蒲焼きとドンブリ飯を頼んだ。
ところが、注文した品が出てきたとき「船が出るよー」の声。
今助はドンブリと皿を借り、ドンブリ飯の上に蒲焼きののった皿をポンと逆さにかぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから土手に腰をおろして食べたところ、蒲焼きが飯の温度で蒸されていて、より柔らかくなり、飯にはタレがほどよくしみこんで、これまでに食べたどこの鰻よりもうまかった。
水戸街道を江戸方面から来て、小貝川を渡ります。そのまま水戸街道を陸路で進むよりも、小貝川沿いに北上して牛久沼を船で渡ることで距離を短縮することができたと考えられます。
大久保今助も、このルートで牛久沼を渡ったと考えることができます。この渡しの距離から推測すると所要時間は、約10分。かば焼きをご飯の上に載せて船で渡り、陸に上がって食べたとすれば、ご飯の熱で、かば焼きが丼全体になじんで特別な味になっていたというのは、十分納得できる話です。
との逸話が竜ヶ崎市のHPに掲載されている。
http://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/article/2013081500954/






