彫刻家・後藤清一は昭和9(1934)年5月、友人の森戸達雄、小野信夫、津川公冶と共に牛久在住の画家・小川芋銭を訪ねた。
先ず、自刻の「弥勒菩薩像」を芋銭に贈呈し、画室「草汁庵」に於いて良寛の書の一幅を観ながら、良寛論、書論へと話は及ぶ。
更には文人画を描く芋銭の画境が語られる。
昼食時と成り、頼んで有った船にご馳走を積んで牛久沼へ漕ぎ出した。
大師堂のある出島に着き、松籟を聞き景色を眺める。
再度、船を進め沼縁の料亭「湖月」で暫く寛ぐ。卓上には牛久特産の蓴菜と蒲焼、草汁庵から持参の料理を加えての昼の宴。
酒もほどほどに回って、釣りをしようと、釣り談義。
時間はあっという間に過ぎて、6時過ぎには草汁庵を辞した。
津川公冶著『画聖芋銭』(宮越太陽堂・昭和18年)「牛久沼上の一日」として詳しく述べられている。
この日の出来事を後藤清一は「昨日の様に覚えている」と話していたので、一度は訪ねてみたいと思っていた。
それから約40年、山本 哲士さんの案内で実現したが、話で聞いていた場に立てたことは大きな喜びであった。
入り口近くの「河童の碑」
芋銭の偉業を讃えるために昭和26年に友人「池田龍一」が中心となって建立。
雲魚亭入口付近の「改善一歩」道標。
1922年(大正11年)に城中青年会(矯風会)によって旧牛久村の主要な道沿いに立てられた道標。
芋銭は自分の進む道を良い方向に改めて進みなさいという意味の「改善一歩」という言葉を提案した。
木立の合間から牛久沼が望める。
母屋と記念館「雲魚亭」への道。
昭和12年、母屋の隣にアトリエ兼住居「雲魚亭」を建設。
『河童百図』の刊行準備の時期に病に倒れたため、ほぼ病室として使われ昭和13年に70年の生涯を閉じた。
複製画や芋銭の愛用品が展示されている。
母屋(「草汁庵」)。
現在も芋銭のお孫さんが住居として使用しているとのことで非公開。
その中の一部屋が、画室として使用された「草汁庵」。
7月9日(土)催行の【Tabi-ぶら】番外編<アイツんとこに行ってみようか。to 牛久&石岡>の参加記録です。








