「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の④

 

ダイエー水戸店開店の副産物。

 

  

ダイエー水戸店の閉店(2005年)後、2014年に解体が始まった。

現在はマンション工事が進行中。

 

中内功が創業したダイエーは日本の流通業界に旋風を巻き起こした。

安売りのスパーマーケットから、地元商店と連携を図った地域密着型の商業施設を展開するようになる。

地元の商店が共同でビルを建築し、その中にダイエーと地元の商店がテナントとして入居する。

水戸にも波及し、南町2丁目の商店街が建設を受け入れる動きとなった。

ダイエーの進出を「黒船来襲」と考え、商工会議所も意見は分かれた。

 

南町2丁目は、町内を二分する激しい対立も生じたが、最終的に建設が決まった。敷地には蕎麦店・喫茶店・パン屋・画材屋・生地屋・パチンコ屋・時計店など10数店が在った。

共同ビルに参加する店、敷地を売却し移転する店等、考え方も異なった。

 

多くの再開発に伴って発生する問題は、水戸市が進めている泉町の「新市民会館建設」も同様な問題を内蔵している。

 

何とか問題をクリアーして1973年(昭和48年)11月に「水戸ショパーズプラザ」は開業した。

地下の食品街・最上階の飲食街まで、地下1階~地上8階のビルは衣料品から専門店・画廊・雑貨など、スーパーと言うよりデパートのようだった。

テナントとして出店した地元の商店も盛況だった。

しかし、郊外に大型店が出店する時代となりテナントの撤退や客数の現象で、赤字に転落、約30年間の営業で2005年に閉店した。

さらに、ダイエー本体もライバルであったイオンの傘下に入り、何れは店名も消滅するかもしれないとは、時代の変遷は激しすぎる。

 

開店前の話に戻るが、予定された敷地の地権者で事業に参加しない商店の移転先として確保したと土地が宙に浮いてしまった。

 

その土地の活用法として浮上したのが「ファッションビルの建設案」

東京のコンサルタントに依頼して着工したが、完成間際で資金面やテナント構成などでとん挫し、開店の見通しが立たなくなった。

 

急遽の一策として「パルコ」の成功に力のあった松本瑠樹さん援軍として引き出すことに成功した。

彼は自身の「バツ」やパルコのテナント仲間に声をかけ、生きのいいブランドショップを構成し、短い時間で大幅な改革を実行した。

 

直前まで開店が危ぶまれたが1978526日に開店。

地方の中小都市のファッションビルの魁として動き始めたが、ダイエー水戸店誕生の副産物であった。

 

198090年代、ファッションや音楽好きの若者たちが集い、新しい水戸の文化の発信地としての役割を果たしてきた。しかし、生活様式の変化から2007年に閉館。

 

ダイエー水戸店の思い出を語る人はいないが「サントピア水戸」が青春だった時代の人達にとって「サンピ」(サントピア)が人生の1コマであったことは間違いない。ファッションビルではあったが音楽や映画や演劇、地下の飲食街などなど。

 

●柏孝江さん

占いも何回か行きました。大内商店も…

実家の町内だったし…一丁目も淋しくなってしまった。

●長谷川 裕久さん

 ここは世代的にど真ん中だったので、サウスコアでは絵画のグループ展もやったし、演劇公演もやったし、バンドもやったというとても濃い記憶が。

●大貫 博之さん

 美大受験時代は 画材を買いに良く行きました。

●木村 理恵さん 
私の高校時代の聖地です。

Yuko Miyanagaさん

お正月の初売りですごい行列でした。入り口から歩道橋へと並んで中央郵便局の方まで続いていたような......

Oyabu Yasuko さん

映画をよく観ました(*^^*)

大好きなソフィー・マルソーのラ・ブームを観たのはここだったような(多分)

●小鹿 拓良 さん
いろいろ、思い出がありますよ。なんだか寂しいですよね。