「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の③

 

「サウスコア」

 

「サントピア水戸」は「渋谷パルコ」(東京都渋谷区)に次いで日本で2番目のファッションビル、ともいわれる。(その根拠は定かではない)

 

その後、全国に波及したファッションビルと「水戸サントピア」の違いは8階に設けられた多目的ホール[サウスコア]の存在だろう。

[サウスコア]文字通り、南の核=南町の全ての中心の意気込み。

 

コンサート・演劇・美術展等、多岐にわたる内容で、街の中の文化センターを目指した。

企画室長の田貞夫さんは、学生時代からバンド活動をしていたので、ライブが出来る空間を提供したいと考えていた。

 

名のあるあるグループの有料公演を企画したが、多くはアマチュアの自主公演。

多目的ホールだから、コンサート専門とはいえず、マイクやPAは準備するが設置は借り手がするシステム。

 

出演者と観客が一体となってコンサートを創り上げることも多かった。

 

演劇に於いてもしかりで、アマチュア劇団のメッカだった。

 

サウスコアに関しては企画室の加藤 保さんが担当した。

 

●桧山恵美さん 

新聞の折込広告がとにかくスタイリッシュで、憧れていた中学生の私は、大学ノートの表紙にグラビア面を表にして貼り付け、自作ノートを作っていました。ずっと憧れていたビルを初めて訪れた時は、完全にお上りさんでしたが「ここがあのオシャレな広告のビルか!」と大変感動しました。

ショップ店員さんと話しながら服を買うこと、それぞれ店舗ごとにデザインされた袋に入れてくれること、お取り置きという買い物の仕方、全てサントピアが初体験でした。

高校生になり、ライブハウスの運営スタッフに入れていただいた頃が、一番楽しい青春の思い出です。

田舎の女子中学生に、上質なファッションと最先端のカルチャーを教えてくれたサントピアに、感謝しています。

●井戸 淳さん

 高校・大学時代はサウスコアをお借りして演劇公演をしていました( =^ω^)

劇場とは違っていわゆる箱形なので、客席・舞台・楽屋の位置や向きを自由に設定出来るのが有り難かったです

 

まだ子供だったので、加藤さんに怒られないようにビクビクしながら相談やお願いに行ったのを思い出しました

●すずき ちか さん

 取り壊しされてしまうのですね…なんか寂しいです。

四年働いたでしょうか。思い出はたくさん。

今頭の中でサントピアの中を歩いてみました。

インフォメーションだったので、ライブの本人から電話がかかってきたり、終わってからちょっとライブ入れてもらったりちょっと得した気分でした^o^

BUCK-TICKが遊びきた今ではほんと何もなも懐かしい!!

Noriko Nakamura さん

高校生の時、土曜日の放課後と日曜日にサントピアのPAGE BOYでバイトしていたよ。昭和天皇が崩御された日もバイトだったのを覚えてる。

DCブランド全盛期で、もらったバイト代、みんなお洋服代につぎ込んでた。

バイト先のお姉さん方に、いろいろ遊びに連れて行ってもらったなぁ。休憩時間には、上のライブハウスの階の喫茶店でピカタ定食とか食べたなぁ。かねちゃんとはよくイタトマで大っきなケーキ食べてたなぁ。すっごく懐かしいよ。

バーゲン(当時はセールじゃなくて)初日は、みんな学校サボって並んでたりしてたよね~。私も安全靴履いてたよ(^^)

*「サントピア水戸」に関して時代背景を含めて系統だった話となれば、優に本一冊になるだろう。

その頃が青春だった人達が書き残してくれたら嬉しい。

私は、テナントとして15年位出店していた時期もあるが、斜に眺めていただけで、内部の人間ではないから詳しくはない。

しかし、1978年の開業時、数年前の準備期間から閉店までの動きはなんとなくだが、分かっている。

 

経営陣を含め当事者が現存しているから、それらの方々に聞くか、資料の提供をお願いすれば正確なものが出来るだろう。

 

当事者は話しづらいこともあるだろうから、岡目八目的に話を進めるので、関係者の皆様にはお許しを乞いたい。

簡略に「敬称は略」と考えてはいるが、現存の身近な友人達を呼び捨てにするのは気が引けるので「さん」づけもありにした。