三溪園@横浜市中区本牧三之谷
 

 

「三溪園」は生糸貿易により財を成した実業家・原三溪(18681939)によって、明治39年(1906年)に公開された日本庭園。

東京湾を望む横浜の東南部、本牧に広がる敷地に約20年をかけ完成したもので、18万平方mという広大な園内には、京都や鎌倉などから移築された歴史的価値の高い建造物(重要文化財含む)が数多く配置されている。

三溪が存命中は新進芸術家の育成と支援の場ともなり、近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれている。

 

広大な敷地に約20年をかけて造成したという、熱意と構想の大きさ。

明治の人ならではの気宇壮大を感じる。

 

歴史的価値の高い建造物(重要文化財含む)が数多く配置されているが、開園時の建造物で第二次大戦で焼失した建物もかなりある。

全てが失われていない姿を想像すれば見事なものだ。

それだけの財力は生糸貿易によるから、生糸は明治時代に一大産業でそれによって日本の発展がなされたことを知る。

  
 

旧燈明寺三重塔【重要文化財】1457年(康正3年)。

園内のほぼ全域から、その姿を見ることができる三重塔は三溪園を象徴する建物。 三溪園には、1914年(大正3年)に移築された。

  
 

旧東慶寺仏殿【重要文化財】江戸時代初期

鎌倉の東慶寺にあった仏殿で1907年(明治40年)に移築された。

禅宗様の特色を色濃く残す数少ない建物。    

  
 
 

旧矢箆原家住宅【重要文化財】1750年頃(宝暦年間)。

大きな茅葺屋根が印象的な合掌造の民家。

岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)にあったが、ダム建設により三溪園に寄贈されることになり、1960年(昭和35年)に移築された。

萱葺き屋根と木材の保護のため一年中火を絶やさない。

煙が防虫の役目を果たす。

 

室内の花を活ける・囲炉裏の碑を絶やさない・清掃・案内などの作業はボランテア活動によってなされているとのことだ。

 
  

大池と旧燈明寺三重塔

  
  
 

鶴翔閣(旧原家住宅) 

1902年(明治35年)三溪が建て、三溪園造成の足がかりとした。

広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成される。

 
 

臨春閣 【重要文化財指定】 1649年(慶安2年)

  

松風閣

海側の小高い丘に建つ展望台。

戦前は洋風の別荘の様な建築が在ったが戦災で焼失。

現在は、近くに展望台がある。

ここから風景、今や石油タンクが林立するが、当時は素晴らしい海岸線を望めたであろう。

 

紹介した建物は全体の半分位。

何度かに分けて観て丁度と云う感じだ。

四季折々楽しめる庭園だ。