№28「早起きは三文の得」について。其の2
大正10年濠を埋め立て旧鳥見町と元山町を結ぶ新設道路・金魚坂が出来た。
大正時代辺りから濠あとは泥が深かったが田圃となった。
中央に「青川」と呼ばれた小川が流れていた。
これは戦後の昭和20年代も変わらない。
私が子供の頃、上流の金魚の養殖池から、大雨であふれた池から金魚が流れて来るので掬いに行った。
何時から何時頃までのことか、金魚屋さんで創業の時期を確認すれば分かることだが。
今はトンネルとなった東の谷(紀州堀)にも金魚屋が在った。
僕の同級生の家で遊びに行ったから良く覚えている。
その脇には「まんばい」という風呂屋か料亭の跡も在っただが、今では10メートル位下に埋まっている。
西の谷、戦後しばらくは田圃だった。
大蛇が住んでいる、と云う様な伝説も有ったらしいが今ではトンと聞かない。埋め立てられて今の様になったのは、佐川市長の時代。
谷をどのように生かすかコンペも行われた。
そして、緑地公園となったが、市長が変ると前任者の事業には予算が付かない。
更に市長が変って、10年前に桜の植樹がされた頃から再び予算が付き、手入れされるようになった。
現状は?
曲がりなりにも手入れがされるようになったが、年に3回くらい草刈りが入る程度、しかも、予算の都合でエリアは変わる。
今年度から野草・薬草園が新設された。
初年度ゆえ成果はいま一つに思えるが、年を追うごとに根付くと思われる。
もう一つは石を配した清流。
これは9月末に完成予定だが、竣工後も手入れがなされないと、清流は保たれない。
西の谷の役目と必要なものは?
四季折々の自然観察しながら目的地に向かう、ロータリー。
安全に通行できる照明設備は是非とも必要。
「西の谷を街中の緑地として大切に保存し、活性化につなげられないか」と云う話を聞くようになった。
なかには、新市民会館の予備の駐車場、若干の遊具を備えたミニ・プレイグランド、の案などは現場を見ない・知らない人の空論で論外だ。
「駐車場」は既に100台以上あって、常時駐車されているが、公園利用者では無く、全ては街中に勤める人達の無料駐車場。
「子供達の公園」遊具がなくても犬の散歩や家族連れが来ることはあるが、芝生の広場が刈り込まれている期間は少なく、大概は草が伸びている。
時には、芝生の保護の名目で除草剤もまかれる。
南北に細長く東西が狭いから日照時間が少ない。
ベンチが沢山置かれているが、使用された例は無く、間もなく朽ち果てるのを待つだけだ。
東側の通路は日当たりが悪く、落ち葉の清掃もされないから足元は良くない。
この掃き掃除は予算外だから、市の関係者は誰もしない。
僕が、たまにする程度では、とても追いつかない。
思いもよらない事件が起こるこの時代、何より安全が優先なのは論を待たない。
日没後1時間も経って行ってみれば充分わかるだろうが、懐中電灯でも持参しないと危なくて歩けない。
照明が少ないからで、特に木の階段付近は真っ暗になる。
先ずは照明設備だが予算が掛かる。
地下埋設、等考えるからで電柱を立てればさほどの経費は掛からない。
奥の部分が薬草園などに成りつつあるが、給水の設備がない。幾ら植栽しても水やりが出来なければ植物は育たない。
イベントの際も使用できる。
西の谷はロタリーのようなところでいかなる方向にも行ける。
案内板と大工町方面、神崎寺に向かう階段から国道に出る通路の拡幅する必要はある。
近年まで、神崎寺の裏山には綴れ坂に沿っての物が配されたところを通行できたが、今は荒れ果てている。
西の谷の整備には神崎寺の協力が必要だが、市や公園協会はどう考えているのだろうか。
