水戸JCの全員(80人位であった)が参加し、一般の人達も加わった。
神社や神輿は復興が成ったが、神輿を担いでの渡御の機会は稀だった。
担ぎ方も分からないので、東京の下町(何処の神社に関連した人達かは忘れたが)の方に来ていただき、電信柱の丸太を組み合わせたものでかつぎ方を連取した。「ソイヤ・ソイヤ」という掛け声のもと、揺らさずに担ぐのは難しく、なかなかうまくは行かなかった。
幾らか様になった頃、ハッピ、腹掛け、パッチなどを揃えることになった。
祭り衣装など初めて身につける人ばかりだから、それだけで気分は高まった。
春祭りか夏祭りか記憶にないが、見物客の少ない道路の練り歩き宮入りした。
そんなことが1~2年あって、会員の住所のある神社ごとに「神輿の会」を作ることになった。吉田神社は鳳会、八幡宮は八鳳会、常磐神社は磐会、もう一つぐらいあったかもしれないが、とにかく地元で会を作った。
その時の会員はJC以外の人が多くなった。
当時のJCは「街創り」に取り組んでいた。
地域(学区)ごとの賑わいが水戸を活性化すると考えていたから、きっかけをJCが作り、その後は地域の人達に任せる。
神輿の会は順調に発展し、幾つかの会をまとめる「水戸神輿連合会」が発足した。その当時の組織づくりとしては「献血連合会」もある。
その後は、五軒小学校跡地利用が大きな問題となり跡地計画の提言をした。
幾つかの提言が生かされ、現在の「水戸芸術館」が生まれたが、今回の新市民会館の計画に対してなんら提言は無いように思える。
JCの会員数の減少や、体制に沿った考えなど、いくつかの理由があるように思えるが、誠に寂しい感じがする。
水戸黄門まつりの終盤を彩る「神輿連合渡御」
ひとつの神社ばかりでなく、多くの神社神輿が参集するのは当時としては珍しかった。正に、「魁」だった、といえる。
今年の参加は、鳳会(吉田神社)・雷会(鹿島神社)・八鳳会(八幡宮)・磐会(常磐神社)・日吉会(日吉神社)・県庁神輿会・水戸市役所僊胡会・石塚風雲之会(風隼神社)・鶴祭会・大綱会(飯綱神社)・水戸雷神会(別雷皇太神)・魁会(東照宮)・梅里睦の14団体。
さらなる、発展を期待すると共に、JC諸兄の奮起を期待したい。






