神輿連合渡御@水戸黄門まつり

 
 
 
 
 
 

今から40年前頃のこと、水戸青年会議所の神輿好きの発案で水戸東照宮の神輿を担ごうと云うことになって「魁会」と云う同好会が出来た。

水戸JCの全員(80人位であった)が参加し、一般の人達も加わった。

 

神社や神輿は復興が成ったが、神輿を担いでの渡御の機会は稀だった。

担ぎ方も分からないので、東京の下町(何処の神社に関連した人達かは忘れたが)の方に来ていただき、電信柱の丸太を組み合わせたものでかつぎ方を連取した。「ソイヤ・ソイヤ」という掛け声のもと、揺らさずに担ぐのは難しく、なかなかうまくは行かなかった。

幾らか様になった頃、ハッピ、腹掛け、パッチなどを揃えることになった。

祭り衣装など初めて身につける人ばかりだから、それだけで気分は高まった。

 

春祭りか夏祭りか記憶にないが、見物客の少ない道路の練り歩き宮入りした。

そんなことが12年あって、会員の住所のある神社ごとに「神輿の会」を作ることになった。吉田神社は鳳会、八幡宮は八鳳会、常磐神社は磐会、もう一つぐらいあったかもしれないが、とにかく地元で会を作った。

その時の会員はJC以外の人が多くなった。

 

当時のJCは「街創り」に取り組んでいた。

地域(学区)ごとの賑わいが水戸を活性化すると考えていたから、きっかけをJCが作り、その後は地域の人達に任せる。

 

神輿の会は順調に発展し、幾つかの会をまとめる「水戸神輿連合会」が発足した。その当時の組織づくりとしては「献血連合会」もある。

 

その後は、五軒小学校跡地利用が大きな問題となり跡地計画の提言をした。

幾つかの提言が生かされ、現在の「水戸芸術館」が生まれたが、今回の新市民会館の計画に対してなんら提言は無いように思える。

 

JCの会員数の減少や、体制に沿った考えなど、いくつかの理由があるように思えるが、誠に寂しい感じがする。

 

水戸黄門まつりの終盤を彩る「神輿連合渡御」

ひとつの神社ばかりでなく、多くの神社神輿が参集するのは当時としては珍しかった。正に、「魁」だった、といえる。

 

今や、山車合戦と共に祭りの華となった。

 
 

  
 

今年の参加は、鳳会(吉田神社)・雷会(鹿島神社)・八鳳会(八幡宮)・磐会(常磐神社)・日吉会(­日吉神社)・県庁神輿会・水戸市役所僊胡会・石塚風雲之会(風隼神社)・鶴祭会・大綱­会(飯綱神社)・水戸雷神会(別雷皇太神)・魁会(東照宮)・梅里睦の14団体。

 

さらなる、発展を期待すると共に、JC諸兄の奮起を期待したい。