歴史が薫る街、横手市。

 

20157月、シェ、ジャニーが安比から盛岡材木町に移転した。

横手の眞壁さんとご一緒し、帰途は横手の眞壁さん宅に泊めて頂いた。

20107月にも、眞壁さん宅に御厄介になり、横手の街を散策した。

当時の記録を再録し、掲載。

 

 

歴史が薫る街、横手市。

 

 安比高原のレストランシェ・ジャニーの春田光治さんとの縁で、眞壁明吉良さんと知り合うことが出来た。水戸京成百貨店で約1ヶ月の展示販売を終え、秋田県横手市に戻られる眞壁さんの車に同乗し横手市に向った。

 横手に同行し、秋田県酒田市の「土門拳記念館」に行きたい、と考えた。

これは、少しばかり誤算があった。横田~酒田の間は100km近く、時間にして2時間は要する距離であった。

その様な状況であったが、眞壁さんは「我が家にお泊まりください、翌日は酒田までお送りしましょう」との親切なる申し出を戴いた。この際、ご厚意に甘えることにした。

 

 840分水戸を発ち、常磐道を北上、いわきから郡山を経由し東北道。

 山形・新庄を通過して横手に向った。

 眞壁さんにとっては通いなれた道、水戸から6時間足らずで横手に到着した。

 高速道路網の発達は日本の国土を大分狭くしたものだ、と実感した。

 

 
  

 横手城址・横手公園

 

 横手市は横手盆地の中央部に位置し、秋田県では秋田市に次ぐ第二の人口を有する中核都市。歴史的には常陸水戸54万石から出羽秋田21万石へ減転封された、佐竹氏の一族。

 常陸の国を先祖に持つ人たちも多い。眞壁さんのご先祖は真壁(現在の桜川市)の出自らしい。

 

 

 

 横手の街に着き、横手城跡に向う。

 現在は横手公園として、二の丸跡に三層の天守閣様式の展望台が立ち、内部は郷土資料館となっている。

 江戸時代末期の戊辰戦争の際は、東北地方では佐竹氏は孤軍官軍側につく。

 陸奥仙台藩と出羽庄内藩の軍勢が、戸村大学(義効)の籠城するが、明治元年の夕方に落城した。因みに戸村氏の先祖は那珂市戸に発する。

 

  

 

ここからは、横手盆地が一望のもとに眺められ、とくに秋田富士・鳥海山の姿はすばらしい。とのことだが、残念ながらこの日は曇り空で観ることは出来なかった。

 真下に、東奥羽山脈から流れる横手川の流れが見える。

 始めてみた風景なのに、なぜか親しみを感じる。

その理由は、直ぐに分った。

 

 石坂洋次郎文学記念館

 

 城址公園を下り、石坂洋次郎文学記念館に案内された。

  

 石坂洋次郎は大正15年、26歳で横手に赴任し、13年にわたり教員生活を送った。

その経験が「山と川のある町」など、多くの文学作品をはぐくみ、開花させた。

 

  

 

 戦後まもなく発表された「青い山脈」は、新たな世界への期待を描いて、疲れ傷ついた人々のこころを癒し、新生日本の代名詞になった。

 「陽のあたる坂道」は石原裕次郎の主演で映画化されたが、新聞の連載小説だった。

 多くの長編小説が繰り返し映画化、ドラマ化されたことでも、作品の時代をこえた人気のほどをうかがい知ることが出来る。

 

 記念館に入館したので、再認識できた。

この機会がなければ、石坂洋次郎について思い出すことは無かった。