ジャニーの厨房とファミリー @シェ、ジャニー

 
 
 
 
 

シェ、ジャニーのオーナーシェフ春田光治さんが子供の頃、家庭には外国人のお客様が多かったらしい。

お兄さんは何と呼ばれていたか分からないが、お姉さまはパッチー、春田さんはJohnnyと呼ばれたことから、当たり前のように多くの人が「ジャニー」と云う、僕も自然にそう呼ぶようになった。

渋谷の店が46年前に開店し、その数年後に友人の縁で知り合ったから、少なくとも40年は経っていが、歯に衣を着せない率直な言動や、優しさは変わらない。

ジャニーはどのような人とも分け隔てなく接してくれる。従って友人・知人が多い。僕は友人の友人と云う感じだから、お弟子さんや親しい友人程の付き合いはない。だから、ジャニーの人柄や料理について詳しくはないが、ジャニーが教科書であり、味に対する基本となっていることを嬉しく、又ありがたく感じている。

 

時代と共に家族やお弟子さん、友人知人も変化しているが、渋谷時代は10人位のお弟子さんがいた。毎日が予約で満席な状況で、厨房は戦場の様であった。

12時の閉店後に全員が揃っての食事は、店で出す品と同等以上の和洋中華の料理が並んだ。何れもジャニーが全員分を調理した。

美味しい賄を目当てに多くの友人が真夜中に訪れた。

 

安比に移ってからの10年間は営業をせず、スキー、釣り、狩猟など毎日が遊びの世界、仕事は家族と訪ねてくる友人のために美味しい料理を作ることだった。

安比で育った長男と長女は現在は外国で暮らしている。

長女のアリスさんはNY在住で料理が好き、随時、ジャニーのブログに投稿している。

 

10年前、昔のお客の勧めで安比での営業を再開したが、ジャニーの料理を食べたい方たちが、遠路はるばる、とのお客が多かった。

 

移住後30年を経て、家の傷みの激しさと冬場の雪下ろしの労働を勘案し、移転を考えていた今年の1月、偶然に材木町の物件に出会った。

決断が速いのもジャニー流、話はとんとん拍子に進行した。

 

盛岡・材木町の家は安比と比べると随分狭い。

1階が店舗、2階が住居と倉庫として使っている。

以前の半分以下にするのだから、かなりのモノを整理しなければならなかったろう。安比に残したままの荷物も有るようだ。

 
  

肝心の厨房を大きく取ると、客席が無くなってしまう。

しかし、かなり大きな厨房を確保した。お弟子さんが来ても充分間に合いそう。

 

移転まもない、にもかかわらず道具類はビシッと納まり、馴染んでいる。

さすが、名人の業ですね。

 

  

奥さんのichiさんがホールでのサービス。

渋谷の店は厨房の人達が交互にホールに出てサービスしていた。

 
 

Ichiママが盛岡に転居し、お皿洗いを担当。

 

ジャニーが全てを仕切るのは変わらない。

どんなに忙しくとも手を抜くこともない。

店を大きくしよう、多店舗展開しよう、等の野心は一切なしだ。

ひたすら、美味しいものを作り食べて頂くことを喜びとして生きてこられた。素晴らしい人生、正に伝説の人だ。

  

渋谷・安比とジャニーを支えたハモ(中村美智雄)さん。

現在は盛岡材木町、ジャニーの店の真向かいに居住、忙しい時はお手伝いもするそうだが、この日は所用があって来店、久し振りにお目にかかりました。

 
 

厚かましくも、記念撮影、有り難う御座いました。

 

多くを望まず、誠実に自分心のままに生きる。

少年のような純粋な心を失わず、常に前を向き振り返らない。

家族と言え、着かず離れずの適度な距離。

 

僕の憧れ、フランクシナトラの人生に重なります。