「鎌倉からはじまった。1951-2016 」展、PART 2
@神奈川県立近代美術館<鎌倉館>
FC横浜との試合の前に北鎌倉の東慶寺と円覚寺に詣で、鎌倉の神奈川県立近代美術館<鎌倉館>を観た。
サッカー観戦の楽しみはアウェー戦で対戦相手の街を歩き、ご当地のグルメを味わい、美術館や博物館を廻るなど、人それぞれの楽しみがある。
神奈川県立近代美術館は、日本で最初の公立近代美術館として鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に1951年に開館した。
20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエに学んだ坂倉準三の設計による建築も話題を呼んだ。
敗戦まもない時期、新たな文化の発信地として次々に打ち出された斬新な企画は、その後の公立美術館のモデルとなった。
開館以来60年以上に渡って活動しているが、本館の敷地は鶴岡八幡宮からの借地で、契約は本年(2015年度)で終了し2016年1月末をもって閉館することになった。
今年度は「近代美術館は鎌倉からはじまった」として1951-2016の活動を振り返る企画展が開催される。
7月4日~10月4日は「PART 2:1966-1984 発信する近代美術館」とし、新館が増築されて展示面積が広がり、展覧会の規模も大きくなった1966年。ムンクやクレーの回顧展など、記録的な入館者数の海外展が本格的に始まった。1966年から1984年の鎌倉別館開設までの約20年の美術館活動を所蔵作品とともに検証している。
展示を回顧する展覧会ではあるが、間もなく姿を消してしまうかもしれない建物や環境も心にとどめておきたかった。
鎌倉には多くの文人や芸術家が住んでいたので、鎌倉近代美術館の支援や作品の寄贈も行われた。
川端康成もその一人、古賀春江の作品を寄贈。
鎌倉近代美術館が「近代美術館は鎌倉からはじまった」と言えるのは、開館時は副館長、後に館長を務めた土方 定一の運営方針による。
土方定一(1904-1980)は旧制水戸高等学校時代から文学活動を開始し、東京帝国大学文学部美術史学科を卒業後1930年にドイツに留学し、詩誌『歴程』発足(1935年)とともに同人となり、美術批評を執筆。
日本における美術評論の先駆者で、長らく美術評論界に君臨した。
旧水戸高等学校在学時(1924年頃)彫刻家・後藤清一などとの交友が生まれた。水戸を離れた後も、茨城の美術界との繋がりは継続し、顧問的な立場で貢献した功績も大きい。







