熊野那智大社と青岸渡寺@那智勝浦町

  
 

那智瀧を中心として自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。
瀧本体を神として祀っていたが、その社殿を、瀧からほど近く見晴しのよい現在の社地に移ししたのは仁徳天皇五年(
317年)と伝えられる。

  

(大社境内から那智の瀧が望める。)

この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに縁の深い十二柱の神々をおまつりしたのが熊野那智大社。

 

夏越の祓いの茅の輪

 

 

やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が長い間行なわれるようになった。

 

青岸渡寺

 
 

明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興し、西国三十三所の第一番札所となった。

  
 
 

本堂および宝篋印塔は国の重要文化財。

 

  
 

一遍上人絵図の熊野那智大社