熊野詣
高野山や熊野に関してはまるで知らないに等しい。
やっと念願がかなって訪れはしたが、要所を巡るバスの旅。
とは言え、現地に足を踏み入れたことは事実。
見た体験をもとに書き置き、徐々に手を加えたいと思っている。
白洲正子の『西行』(1988年 新潮社)に
熊野は記紀万葉の時代から知られた霊地であり、今も多くの謎を秘めている。一口に三山といっても、その関係がどうなっているのか、九十九王子の成立についても、ほんとうのところは解っていない。古くは「熊野の国」とよばれたように、それは深い山と大きな川と、そして海にかこまれた秘境で、遠いわりには道は伊勢からも紀伊からも通じていた。平安時代には、高野山や吉野からも行けるようになったが、どれを通っても気が遠くなる程の道程であることに変りはない。
現代においても、「深い山と大きな川と、海にかこまれた秘境」であることに変わりはなかった。
基本的に
●熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。
●熊野古道とは、主に以下の5つの道を指す。
紀伊路(渡辺津-田辺)
小辺路(高野山-熊野三山、約70km)
中辺路(田辺-熊野三山)
大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km)
伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km)
高野山を参拝してから小辺路(こへち)沿いに熊野を目指す自動車路。
高野・熊野の2つの聖地を結ぶ小辺路は『修験の道』としての性格をも帯びており、修験宿跡や廻峰記念額も残されていると伝えられている。
峰沿いの古道ならば、2泊3日或いは3泊4日を要する。
1000メートル級の峠を3つ通過する様な感じらしく、バスの旅は70㌔を約3時間、山と谷をひた走った。バスではいっぱいの細い道が多い。
和歌山はまさに「山」の国、を実感した。備長炭で有名な《ウバメガシ》等も生えているのだろう。目立つのは杉林だが、原生林の照葉樹林も見受けられる。
林業の盛んな時代は宝なお山だったろうが、輸入材や鉄骨やコンクリートの時代、化石燃料の現代において、自然保護は難しいだろうと思った。
龍神温泉などを経て、やっと熊野本宮の近くまで出たが本宮には翌日の拝観と云うことにして、南紀勝浦の宿を目指した。
途中、翌日の予定「熊野速玉大社」を拝観することに。
「熊野速玉大神(くまのはやたまの おおかみ・イザナギ尊)を主神とする神社。大社のある新宮市 の地名は、古代からあった神倉神社に対して新しくこの速玉大社が 建立されたことが由来となっている。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。神仏習合の時代の、この大社の本地仏は薬師如来。
一遍上人絵伝・熊野速玉大社
場所は現在と同じらしいが、敷地の広さ、建物の再建日時などは何時なのか?
*「絵伝」は全体的に人物を小さく扱い、背景の自然描写に大きな関心が注がれ、四季の風景を美しく描いた歌絵は名所図絵的な趣きがる。
人物や建物の的確な描写には鎌倉時代の写実主義的な傾向が強く見られ、山水の描写には中国宋代の影響が指摘される。大和絵の伝統と外来の宋画の力強い表現を加えた作風は独特だ。
神仏習合や「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」の違いがどうも呑み込めない。







