鎌倉の水戸の御寺・英勝寺(えいしょうじ)@鎌倉市扇ガ谷

  

 

 

鎌倉駅西口の乗降客は東口よりかなり少ないが、横須賀線の線路に並行する「今小路」は小町通とは異なって洒落た店や住宅が点在する。

目指す「英勝寺」は駅から、徒歩10分程度の距離だ。

 

創建・開基について(Wikipediaによると)

徳川家康の側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めた。家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建した。

創建にあたっては、徳川頼房の娘小良姫を7歳の時に玉峯清因と名付け得度させ、これを門主に迎え開山とした。英勝院尼は寛永19年(1642年)没し、英勝寺裏山に葬られた。寛永14年(または15年)に寺領朱印地として池子村(現逗子市池子)420石を与えられたほか、裏山にあたる源氏山(旗立山)も与えられている。

 

創建の経緯から、その後も代々の住持は水戸家の姫が務め、このため英勝寺は「水戸御殿」や「水戸の尼寺」とも呼ばれた。

高貴な姫である住持は人前に出ることはなく、折々の法要は芝増上寺や、鎌倉材木座光明寺の僧が勤めていたという。

しかし明治維新を機に水戸家からの住持は絶え、寺勢は衰えた。その後、明治28年(1895年)に松平家より住持を迎え、さらに大正8年(1919年)以降は東京青山善光寺より住職を招請し、今日に至る。

 

 
山門の瓦には葵の紋

 

と云う水戸に縁の深い寺だが、現在は花の寺としても知られている。

専門の庭師さんがおられるようだが、ほどほどに手を加えられた境内に、季節の花が咲く。

 

 

 

 

  
 

 苔むした五輪の塔や宝篋印塔、手水石、石垣石段など。

  

住職が暮らした姫御殿跡、今では竹林と成ってしまった。

 

その他の僧侶、寺侍、医師、料理人達の下御殿、御長屋、代官所も整えられていたので、水戸家のお寺として歴史を重ねてきた。

 
 
祠堂

今では、小さな寺と成ってしまったが、落ち着いた武家風な感じを受ける寺であり、再訪したい。
多くの人にも訪れて頂きたいと思った。

 

 
間もなく藤の花が咲きそうだ。