伊豆山善太郎著『水戸茶道史考』(新いばらきタイムス社 1988.)
郷土史家・網代茂(1926-2010)の水戸に関する著作『水府巷談』(1986.)『水府異聞』(1989.)『水府綺談』(1992.)》は水戸の歴史を知る手がかりのひとつ。
更に、日本の芸術に造詣が深かった伊豆山善太郎(1898~1989)の禅・茶・墨跡に関する著作の編集者として功績も大きい。
伊豆山善太郎(1898~1989)は東京に生まれ旧制一高、東大文学部社会学科を1922年に卒業。1924年旧制水戸中学(現・水戸一高)、旧制東京府立五女で教えた後、1929年旧制姫路工高教授、1938年旧制水戸高等学校に赴任、引き続き茨城大学で教育学部・文学部教授として教鞭をとった。
居士号・格堂、雅号・木人。
論文に茶道全集(創元社)の「禅と茶」「墨跡」、禅ブックス(平川出版社)第五巻「禅と日本文化」収載の「心学と禅」などがある。
1976年5月の茨城県歴史館茶室竣工を記念して発行された「水戸茶道史考」は論文で、部数も少なく一部の人達に知られるのみであった。
茶道関係者からの再版を望む声が多かったことに答えて、元の原稿に注釈や解説を加え、多くの写真や図版を多用し、新たに随想や交流のあった人たちの手紙なども加えられた著作で共著ともいえる。
その中に「吉田松陰の茶道感を変える」の一章で、吉田松陰が水戸を訪れた、嘉永4年(1851年)12月19日から翌年1月20日にかけて滞在中のことにふれている。
『ここに一つ吾人の注目をひく事件は吉田松陰が烈公の茶説などを読んで感心し、大いに子弟に進むべき道なりとして、兄杉学圃に書簡をしたため、それが学圃の随筆に出てそれはいるということである。これは東京裏千家山村宗匠から教えを受けた。』とある。
水戸は茶道を含め文化的でなかったと云われる。
禄高が少ないが御三家としての体面もあるし、大日本史の編纂などの経費がかさみ倹約を旨としたことによる。
偕楽園は水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)により1833年(天保4年)千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園として造られたが、大名庭園ではなく
藩内の人達がともに楽しむところ、いわば公園の先駆け。
物見やぐらを兼ねた、好文亭の何陋庵露地にある腰掛待合の「茶説」と「茶對」額は二つとも烈公が係り、公の茶道観を窺える。
額のみならず、勿論、に本文があるが、茶礼の重要性をこまごまと述べ、ありふれた道具を使うのを恥じてはいけない。懐石も質素なのがいい。
と云う事が述べられているらしい。
この本文の拓本は弘道館の中の売店で買うことが出来る。
残念ながら、生前の伊豆山善太郎さんにお会いする機会はなかったが、手紙や原稿用紙は拝見する機会が有った。
一字一句をおろそかにしない楷書である。
多くは毛筆でペン字もある。
書は人なりと云うが、格調ある人柄が伺える。



