御歳81歳の母が自宅で転んだ。

すっかり足腰が弱くなっている母は、これまでに何度も怪我をしている。

老化によるものだったり、転倒によるものだったり、原因は様々だが、圧迫骨折を3回、両脚大腿骨骨折、それに右肩骨折と、その病歴と手術痕は実に痛々しい限りである。

今回も、顔面青アザと膝骨折で、トイレすら這って行くのがやっととあれば、炊事、洗濯、買い物など、家事一切は当然できず、自分のモノの管理もままならない。

いよいよ身動きが困難な状態となった。

 

以前、私が断捨離をしている話をすると、母は「ウチもお皿が多すぎるから捨てたいんだけど、重くてゴミ置場まで持って行かれないのよ」と言うので、私が代わりに捨ててきたことがあった。

母は、いわゆる「捨てられない人」ではない。

むしろその逆で、欲もあまりなく、所有物はごく少なめの方である。

それでも体が思うように動かなくなれば、捨てたい気持ちはあっても、捨てられなくなってしまう。

そんな当たり前のことに、改めて気づかされた出来事だった。

その時から私は、余計なモノは自分が動けるうちに捨てておきたい、と思うようになった。

ひとりで老後を迎える覚悟をしている以上、歳を重ねるごとに背が縮んで、体力が衰えていくことを思えば、踏み台に乗らなければ届かないところにはモノを入れたくないし、捨てるのにお金と体力が要るモノは持ちたくない。

自分が死んだあとに、自分が溜め込んだモノのために人様の手を煩わせたくない。

目の前にいる母の姿は、私のその思いをますます強くした。

まさに大断捨離へと向かう決定打だった。

 

思えば子供の頃、通知表を渡すと、まず裏返して出席日数を見た母。

成績の良い通知表を持ち帰るよりも、歯科検診で虫歯がなかった時の方が、私を抱きしめて褒め、喜んだ母。

学校の勉強がすべてではないことを、早くから教えてくれた人である。

その母が今、人がどのように老いていくのかを見せてくれている。

人が老いた時に、自分の身の回りがどうなっていたら良いのかを考える機会を与えてくれている。

母には、生まれた時から色々なことを教わってきたが、これは母からの最後の教育だと思っている。

……って、まだ他界したわけでもないけれど。

私はそれをしっかりと受け止め、今後の人生に活かしていきたいと思う。