強力なメンバーを集めなくても、今いるメンバーで協力することで380冠とSネジをget可能と言うのが私の持論です。
そこで、それを実証するため、6年前に入念な準備をして380冠チャレンジを実施しました。
結果を先に言いますと、計画通りに無事達成でした。
この月は参加メンバーが少なかったため、審査員の呼び込みがシビアでした。当時はまだ味力3倍もキングモグも導入されておらず、得点力アップの手段はレア呼びくらいでした。ですので10分間でいかに多くの審査員を潰せるかが勝負のキーでした。サブとセットでPCとガラケーから同時インして、超絶爆モグできる方が助っ人で来てくれて、その方の活躍が大きかったです。
この時期のモグワン王者は、フィーバー10分間で1億強叩く次元でした。今の感覚だとワンヒハ1億ってしょぼく思えてしまいますが、今でも3倍なしだとかなりの負担になります。それをしょっぱなから3連とか5連で繰り出してきて一気に3~5億ほどに乗せて、ライバルの戦意を喪失させるという戦術でした。
こんな王者と予選で当たってしまっては、380冠なんて到底不可能です。なにせこちらはレア呼びがチーム全体でギリ10分ほど。確かクラブ施設も未登場でした。
実はモグ1では予選で380冠以上取ったクラブは、決勝では当たらないという、スーパーシード制があります。ただし、今は480冠以上必要です。ということは、進め方次第では、380冠以上取れるチームが複数出るということ。
当時のルールは予選1位ならば50冠。10試合で計500冠。380冠を満たすには最低7回1位を取り、残り3試合で30冠集める方法が1つ。もう1つは2回1位で残り8回全て2位。要は、たった120冠しか落とせないのです。ですが、終了間際に抜かれて3位になるとアウトなので、後者の進め方はリスキーです。
そこで、私は前者の1位7回と残り試合で30冠を選びました。更に、この30冠は
※取消部分訂正。正しくは、5位10冠1回、4位20冠1回でした。完全に記憶違いでしたm(__)m
すると、残り1試合は0点で完全に捨てられるのがメリットでした。
当時の王者は初戦から6~7試合目までひたすら1位を取って、終盤は0点放置などで調整してギリ380冠取るスタイルでした。ですので、序盤にここと当たってしまうと、380冠は不可能になります。
このことを強く意識して、予選で王者と当たらないように進め方を慎重に組み上げました。
※いま手元に資料がないので、この時の進め方は後日改めてアップしますm(__)m
※追記。当時のタイムスケジュールは以下の通り。
1位(50冠)→1位(50冠)
10位(0冠)→5位(10冠)
1位(50冠)→1位(50冠)
1位(50冠)→4位(20冠)
1位(50冠)→1位(50冠)
計380冠
●累計表示
参考に、真下に王者式の進め方も併記します。王冠差を守ることで中盤までの遭遇確率を極小化しました。
自陣 50→100→100→110→160→210→260→280→330→380
王者 50→100→150→200→250→300→350→350→360→380
※追記解説。第2試合までは2連勝するクラブが大量にいますので、まず遭遇しません。さらに第3試合を放置して差が詰まるのを防ぎ、第4試合も微増にとどめました。5~7試合目まで90冠差のままて3連勝して、8試合目は強豪がいたので4位足踏み。王者が抑え目になる最終日に一気に稼いで380に乗せました。
とはいえ、王者以外にもワンヒハで1億出せるクラブが私の知る範囲で2ついましたので、それらとも予選では極力当たりたくなかったです。
確か7~9試合目辺りでそのワンヒハ1億叩けるクラブと当たってしまいました。そのクラブとガチでやりあうのは不本意なので、その試合は捨てて
そして、予選最後の試合、330冠で臨みました。2位以下なら残念賞。まさに背水の陣でした。フタを開けてみたら、対戦表に王者不在のゆるい方のトップリーグでした。同じく330冠の強豪がいたので、そこには勝つ必要がありましたが、王者不在というだけで物凄い安心感でした。王者は開幕1時間で5連ヒハ5億強叩いてくる戦術なので、当たってしまうと非常に苦しい闘いになります。この苦悩を1年半後の再チャレンジで嫌と言うほど味わいました。それはまた後日、機会があれば記事に盛り込もうと思っています。
この決勝戦で当たった純豆腐チゲは、この次の月からいちごパフェという名前になり、長い間380冠を取り続ける超強豪に変貌しました。
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