● 映画セッションの感想と批評

こんにちは。石原健太です。

今回は雑記になります。少し古くなりますが、2014年に公開された「セッション」という映画を2019の正月に見てみました。

こちらの映画です。



ジャズ演奏者という立場からこの映画の事を書いて行こうと思います。

※以下若干のネタバレ注意。

まず、この映画はジャズの映画です。正確に言うとビックバンドで演奏するニーマンというドラマーの学生の話です。

ニーマンは最高の音楽学校シェイファー音楽学校に入学した新入生です。

この音楽学校はジュリアード音楽院をモチーフにしているとのことです。
ジュリアード音楽院もニューヨークのマンハッタンにありますからね。

ここで、鬼教師であるフレッチャー教授と出会い、ドラマを展開するといった内容になっております。

最初にフレッチャーのクラスで変拍子の鬼才、ハンク・レヴィのWhiplashという曲を練習します。
7拍子のストレートの曲なのですが、着目すべき点は、足にカメラがフォーカスされることだと思います。

7拍子という慣れない拍子だど、学生は足で拍子を取ろうとするわけです。

キャラバンという4拍子のスイングの曲を演奏するシーンではそのようなシーンはなく。そういった、音楽的な部分もよくわかっているなという印象でした。

基本的なストーリー展開では鬼教師のハチャメチャな指導の下、ニーマンがひたすら練習するという展開なのですが。

この映画に最後までニーマンの音楽性や演奏を客がほめるといった描写は一切ありません。

ジャズの特異性をや主観性をよく表しているのはここだと思っております。

フレッチャーの鬼っぷりやニーマンの練習風景は実に描写的に書かれております。

しかし、フレッチャーも映画で誇張こそありますが、このようなタイプはビックバンドなどの集団競技の指導者の中では一定数存在します。

ニーマンの練習風景も音楽をやっている人ならあのような経験や精神状況になったことはあるのではないでしょうか。

映画の表層的な部分ではなく、深層的な部分に着目すると、ジャズ音楽の閉鎖性を割としっかりに描いているのでは?と私は思いました。

最後の演奏シーンではキャラバンを一通り演奏したあと、楽譜にない自分勝手なドラムソロをやり始めます。

この瞬間においては、もはや客の存在なんて、どうでもいいのです。

余談ですが、この最後の演奏シーンは圧巻で楽器の見せ方など素晴らしく、撮影者が演奏家なのか?とも考えられるほどです。

ここで、二人の表情のシーンでお互い笑みを浮かべあうシーンになります。

ここですね。





作中の中で、唯一ニーマンのドラムが讃頌されたシーンだと思っております。

鬼教師フレッチャーのみが作中で唯一ニーマンのドラムを讃頌するのです。

なぜなら、ニーマンはフレッチャーにのみウケの良い演奏を練習を重ねてできるようにしたわけですから。

私はこのシーンをジャズ音楽におけるエゴイズムを端的に表現したと解釈しております。

対象すとする層の小ささや、客を無視で演奏をするシーンはジャズ音楽にある反大衆迎合的な部分を誇張的に描いたのではないでしょうか。

ジャズのカッコよさ、演奏のストイックさ、などを描き出すだけでなく、ジャズ音楽における閉鎖性や特異性がアンビバレントしているという印象でした。

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