ルワンダの涙
劇場公開日
2007年1月27日
ルワンダの涙は、
BBCニュースプロデューサー「デヴィッド・ベルトン」
の経験に基づいている。
ルワンダは、
アフリカの中央にあるビクトリア湖の西隣に位置し
面積は九州より小さな国である。
舞台は、ルワンダ、首都キガリにある公立技術学校だ。
この学校に赴任したカトリックの神父と若い英語教師の二人の目を 通して
部族闘争が描かれる。
学校には、国連の平和部隊(ベルギー兵)が駐屯していた。
そこへフツ族政府の大統領専用機の墜落事故が起きた。
フツ族はツチ族過激派のテロであると断定して、ツチ族への迫害が始まった。
これがフツ族民兵によるツチ族殺戮の発端である。
一方、ツチ族住民が助けを求めて、国連兵が駐屯している学校を目指し、学校の周りに集まってきた。だが、「駐屯地は難民施設ではない」とツチ族収容に関係者は理解がないのだ。
だが、神父の強い要請で学校内への収容を駐屯軍はやっと認める。
ところが、政府の意向を背にフツ族の議員が「政府は学校を収容施設とは認めない」と難癖をつけに来るのだ。
神父と英語の先生は、共にルワンダのために最後まで残ろうとした。
だが、戦況が悪くなり、フツ族民兵に学校が取り囲まれ、ベルギー兵が虐殺される事件が起きるのだ。
最後まで残って生徒たちと共にするつもりでいた英語教師も、国連軍ベルギー兵が引き上げの決定で、少女との約束を反故にして、国連トラックに乗り込むのだった。少女から『.約束したでしょう?どうして帰るの』と責められて、青年教師は返事に窮するのだった。
彼はトラックに乗り込んだ後に、神父が残る姿を見つける。『なぜ一緒に引き上げないのか?」と、降りて乗るように勧めるのだ。
だが、神父は考えを変えなかった。『神はここ苦しむ人々と共にいる。神の愛を感じる。かつてないほど強く感じる。私の愛もここだ。私の魂だ。今去れば、二度と(神の愛は)見つけられない』
青年英語教師は、あきらめてトラックに再び乗るのだった。
国連軍が学校から去ったのち、神父は少年と少女を移送しようとして、トラックの荷台に隠して郊外までいくと、バリケードに止められ、尋問されている間にあろうこたか、フツ族民兵に射殺された。
その間に、生徒らはトラックから降りて逃げた。少女は、車の下から神父が倒れたのを見て、必死に走った。
国連軍がいなくなった公立技術学校へは、学校周辺にいたフツ族民兵の集団が「作業開始!」の笛と共に、ツチ族難民を鉈で遅い掛かった。あたり一面、ツチ族の死体だらけである。学校内で2500人以上の死体が転がっていた。
それから、5年後が経過した。
中学生だった少女は大学生なって、ある学校を訪問する。
そこに、あの国連軍のトラックに乗って逃げ出した英語の先生が、合唱の指揮をふるっていた。
少女は、「先生をずっと探していた」と語る。
彼は、生徒を守る約束していながら、逃げ出してしまった。
「どうして逃げたの?」と少女に訊かれるが、彼は「命が惜しかった」と正直に答えるのだ。
フツ族とツチ族の争いは、部外者からは、さっぱり原因が分からなかった。
それは、ルワンダがベルギーに支配されていた頃まで歴史をさかのぼらなければならないのだ。
ルワンダ独立後は、多数派のフツ族がツチ族を迫害する政策が多かった。
大統領の乗った飛行機が事故で墜落したことをきっかけに、お互いの反目が一気に高まる。
飛行機事故をツチ族の陰謀と決め付け、フツ族過激派がラジオ放送でツチ族への敵意、対立をあおったのである。
両部族が殺人集団へと変貌する絶望的なまでの悲劇は、作品を観るものの心を揺さぶるのだ。
泥沼化を恐れてか、積極的に介入しない先進国のだらしなさ。そして、補給なき軍隊となった国連軍の無力さには、正直苛立ってくる。
ツチ族の男が国連軍に直訴する場面は、最大の見所である。
この作品は、日本人であることの幸福を実感させてくれるのだ。
見逃した人には激しくおススメ!