警察と疑惑報道の大罪--映画「日本の黒い夏/えん罪」
2001年熊井啓監督作品
本作品を紹介する前に、
まず、第一通報者であったがゆえに関与を疑われた「河野義行」さんに関わる裏話を紹介しておく。
犠牲者の一人は「河野義行」さんの妻澄子さんであった。
澄子さんはサリンを大量に浴びたために14年間意識が戻らなかった。
その物言わぬ妻の看病を続けていたが、とうとう2008年8月5日、澄子さんは意識が戻らぬまま旅立ってしまった。
「河野義行」さんは、事件発覚から9カ月もの間、犯人同然の扱いを受けたのである。
疑いが晴れたのは「地下鉄サリン事件」が発生したからである。
カルト集団「オウム真理教団」による犯行であった。
過去に例がないほどの過激な「報道被害」と云えた。
この14年間というもの、怒りや悔しさを感じない日はなかった。
澄子さんが亡くなってから、「河野義行」さんは、その苦難の体験について考え続けた。
ある日、河野さんを訪ねて来る人があった。
10年間刑務所で過ごし刑期を終えた人の名は「藤永幸三」であった。元オウム真理教信者であり「松本サリン事件」で使われた噴霧車を作った人物であった。
この犯行を計画したのは、後に刺殺される「村井秀夫」である。彼は事件後に「毒性が強すぎた---」と、事も無げに言ってのけたという。
「藤永幸三」は、幹部の村井から命じられるままにこの噴霧車製作に着手する。詳細は知らなかった。
まさか、この装置が大量殺人兵器であろうとは。事件後、藤永は甚大な被害を出したことを知る。
彼はひどくショックを受けた。河野さんに謝罪することを服役中から考えていた。
そして、その時がきた。「藤永幸三」は、謝罪するために河野さんを訪れたのだ。
河野さんは、このとき「彼は償いを終えて詫びるために来てくれた」
「もう恨みを持たないことにしよう---限りある人生をつまらないものにするのも、豊かな心で生きるのも自分なのだから---」と、思い直す。
河野さんは、藤永が庭木の手入れができることを知る。
そして庭木の手入れを彼に任せることにしたのである。藤永は月に1回河野宅にやってきた。
庭木の手入れをするためである。
死刑を待つ身となった教祖「麻原彰晃」への恨みの感情が消えたとき「河野義行」さんは、澄子さんの死を前向きに受け入れることができたのだ---
それでは、映画の紹介に入る。
「日本の黒い夏/冤罪」
ストーリー
1995年初夏、松本市。
高校の放送部に所属するエミとヒロは、一年前に起きた“松本サリン事件”での一連の冤罪報道を検証するドキュメンタリーを制作していた。
訪れたのは地元のローカル・テレビ局だ。
局では報道部長の笹野と彼の部下で記者の花沢、浅川、野田がふたりのインタビューに答えてくれた。
彼らは、事件当時の取材の様子を回想する。それは、閑静な住宅街で突然起こった死傷者を多数出した有毒ガス事件だった。
翌日、警察は事件の被害者であり、第一通報者でもある神戸俊夫(河野義行さん)の自宅を容疑者不詳のまま殺人容疑で家宅捜査し、数種類の薬品を押収した。
神戸俊夫が薬品の調合ミスを犯して有毒ガスを発生させたとのではないか、という見解を示した。
一方、マスコミ各社は、裏が取れていないにもかかわらず、警察情報として神戸俊夫が犯人であるかのように受け取れる報道を開始する。
もはや、神戸俊夫が犯人であることを誰もが信じて疑わない。
事件で意識不明となった妻を抱え、自らも幻覚幻聴に悩む神戸は戸惑いを隠せない。
ただ、笹野だけはあくまで裏が取れていないという理由から、神戸容疑者報道を控えていた。
やがて、有毒ガスはサリンであることが判明。
ここで初めて「カルト集団」の影が捜査線上に浮上してくる。
そして3月、東京で「地下鉄サリン事件」が発生する--
監督の「熊井啓」は、子供の頃「河野宅」の近所に住んでいた。
誠実な家風から、冤罪を確信していたそうだ。