分析してみた2 | 難治性慢性疼痛の毎日(線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群)Byアキ

難治性慢性疼痛の毎日(線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群)Byアキ

2012年、線維筋痛症と複合性局所疼痛症候群を発症、それよりも前にデパス&ソラナックス&ロヒプノールを服用していた。病気発症に心当たりがないためこれら症状はベンゾ薬害だと私は断定。2019年、旦那と死別

 
昨日のブログでリア友とコメントのやり取りをしていてハッとした。
 
今、最も怖いのが孤独だ。
 
私は今から約2年4ヶ月前までは仕事をしてた。旦那と同じ職場だ。
 
不景気もあって人員削減を迫られる中、当然の事ながら私に白羽の矢が立った。
 
他の従業員をクビにするのは難しいから、私を切るしかなかったのだ。
 
その時は、仕方ないか…という気持ちと、今まで働き詰めの人生だったから、これでゆっくり出来る…という気持ちが半々だった。
 
仕事を辞めてから約半年後に、あの東日本大震災があった。
 
その時の事は今でもハッキリと覚えてる。国会中継を観ながら民主党の誰かが野党に攻められている場面だった。
 
私は遅めの昼食をと思いパスタを茹でる用意をしていた。そこに、あのけたたましい警報音が突然鳴り響く。
 
パッとテレビを見やり揺れが酷い地域が映しだされる。
 
と思った瞬間、ゆっくりと揺れ始め次第に揺れが大きくなっていくのが分かった。
 
直ぐ様、飼い犬を呼び寄せて物が落ちてこない場所にうずくまった。パスタを茹でようとしていた火はちゃんと消して…。
 
その後は、今までに経験した事のない、家全体を揺さぶられるような長周期地震動が長く続いた。
 
オシッコちびりそうなほど怖かったが、飼い犬を守らなければ、落ち着かせなければと必死に抱っこして『大丈夫だよ~怖くないからね~』と話しかけて揺れが収まるのを待った。
 
とにかく長かった…。誰もが思っただろう、この世の終わりだって。
 
揺れが収まり直ぐに旦那に電話するが繋がらない。実家に電話してみたら、こちらは繋がったが留守電だったので、私は大丈夫だよとメッセージを残した。
 
その日は生きた心地がしなかった。旦那とようやく電話が繋がったのが夕方5時を回ってたかな。
 
声を聞けて一安心した。私はシャワーを浴びるのが怖くて、テレビは付けっぱなしでテレビの画面を食い入るようにずーっと観ていた。
 
頻繁にある余震にも怯え、その度にオシッコちびりそうになったもんだ。
 
旦那が帰宅したのは夜中の3時だった。帰れない従業員の対応に追われていたからだ。
 
帰るなり抱きついて涙を流した。私の事は気にしないで、と伝えてあったが、ホントは怖くて心細くて今にも叫びだしそうだったからだ。
 
私の、孤独への恐怖はその時から始まっていたのだ。
 
前置きが長くなりそうなので続きはまた今度にするね。
 
ではまた。