母85、姉61、兄57、俺53。だんだん明日誰かが欠けてもおかしくない年代になってきた
母は特養にいる 幸い外出も可能な体調だがコロナの規制厳しく面会、外出はままならない ほんとうに、高齢者を預かる施設の職員の方々の心労はいかほどなものか、、だから無理は言えない 言わない しかし母には会いたい どうしたものか よいアイデアはないか、、母と会話していると、外出や外食はコロナ過のいまは原則NGだが介護タクシーでの墓参りと多少の買い物はOKだと聞いた ではその束の間を利用して親父の墓場で偶然出会う演出をすればよいではないか、せっかくだから納骨依頼初の全員集合、姉貴と兄貴と4人で偶然出会えばよいではないかと閃いた いや強引にではなく 予定さえ合えば。そうであれば外食とはいかなくても そういえば寺には屋根とベンチのあるあずまやがある ならば珈琲とカップを持参してみんなで府中のかぜに吹かれながらみんなでおんなじ珈琲を飲む、ってもイイんじゃないかしらと欲もでる もしかするとそれが最後になるかもしれないし。俺は兄貴と姉貴に声をかけた 6月XX日のXX時、お墓参り もしこれたらこない? なかなか良い思いつきだと自分で思ったが、、俺自身思いもよらないサプライズがそのあとあったのだ
ドリップの珈琲は駅前の珈琲ショップでテイクアウトしようかと考えていたが、ふと。あ、上の子が某珈琲ショップでバイトしてるじゃん、と思い出し すぐにバイト先の上の子にラインしてあれこれ伝えて、あしたの朝、曳いた豆とテイクアウト用のカップやスプーンを用意してくれないかと遅番だった彼女にお願いした 翌朝、台所に豆や紙コップなんかが入ったビニール袋が台所においてあった 俺は湯を沸かしその豆で熱々の珈琲を淹れポットに入れて寺に出発した
しかし!連日の暑さ&時差ボケ&米国時刻都合で毎朝4時から午前中は仕事をしなければいけないのでほとんど寝てない睡眠不足と帰国の安堵がない混ぜになってノックアウト 寺についたときには立っていられずあずまやで倒れてそのまま寝てたらしくあとから来た姉貴に起こされる始末 お袋やタクシーの運転手さんが現れても、実はしゃべるどころか立ち上がれないぐらいの状態 でも そうも言えないので根性だして起き上がり、まずは冷めないうちに珈琲を、と持参したポットや紙コップとかはいった袋を取り出した
朦朧としながら積み重なったペーパーカップをひとつずつコトンコトンとベンチにおいた瞬間、とたんに目が覚めた じっさい俺は驚愕した 紙コップのひとつひとつに、手書きで、なんか書いてあった
上の子は夜遅くに紙コップに今日来るはずのひとりひとりにメッセージを書いてくれていた 実際、東京の片隅の小さな寺でのなんでもない地味な話し。でも、心のそこから嬉しかったなぁ。久しぶりに心から、驚いた。まったく思いもしなかったことで、その場までぜんせん気がつかなかった。俺は飲んでからその紙コップをフツーに捨てたけど、あとで姉貴がこのカップを捨てずに家まで持って帰っていたらしく、後日俺に姉貴の自宅のテーブルの上に置いたその紙コップのスクショと一緒に、あんたの娘はとってもイイ、ってラインがきたんだ いや、さすが姉貴、姉貴こそすごく素敵だと思うよ
残念ながら兄貴はこれなかったが、それはそれで人間万事塞翁が馬。あんまり整いすぎちゃあ次には災いが待ってるってもんで。次回のお楽しみはとっておきの喫茶店で熱い珈琲と焼きたてのバタートーストを、静かに、4人で。


