行員が少なくなった銀行の窓口で迷惑顔で言われた。ここに来なくても預金もお金の移動もオンラインでできますよ、と。しかし、私は銀行の次はモールに行き、それからグローサリーと、5・6件の用事を一度に済ませるつもりだった。そこで会う人々やお店、通りの様子から、街の活気や停滞を肌で感じる。家にいてはその空気が分からない。しかし、それを説明するのは面倒なので、ニッコリ笑って答える。「あなたに会ってお話ししたいんですよ」と。あながちウソでもない。お客も店員もいないガラガラの大きなデパートの売り場。寂しいを通り越して、痛々しい。解雇された人は、どこかに再就職できただろうか。仕事が次々に消えてなくなっているのが現状だ。
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83歳で亡くなった日本の父は長い間、寝たきりだった。ある日、今日は気分がいいからと起き出し、庭に柿の木を植えたそうだ。そして郵便局に行って米国の私に船便で小包を送ってくれた。その翌日、亡くなった。1カ月後、私はその荷物を米国の郵便局で受け取った。それは母が私のためにあつらえてくれた何十枚もの本絹の着物がつまったもので、大きく、重いものだった。こんな重いものを弱っていた父がよく運べたと、驚いた。受け取る時、まるで父の亡骸を受け取るような気がして、涙が溢れた。
送った時と受け取る時に、これだけの時差があると、人は現実の世界から遠く離れた静かなところにゆく。生活がかすみ、人生という自分が生きている時間の全体がはっきりと見えてくる。待っていたのは物ではなく、物の背後にある人の愛であることが見えてくる。だから、待っている物がたくさんあるほど人の愛が届き、生きる時間が深くたされたものになってゆくのではないか。
効率を追い求める世の中では、待っている時間がない。時間の中で発酵する人の愛を待つことがない。それが生きる世界を薄っぺらにしているのではと、私を不安にする。
待っていればいつかは届く。すりきれた小包が、汚れた手紙が、愛しいもの、大切なものを運んでくれる。人の愛を受け取りたい。届けたい。---
いたく共感した。一見無用な待つという行為。でも待っている時間というのは素敵だ。ぼくは待ち合わせ、というのが大好きでさ。誰かがその誰かだけと会うことを楽しみに、想い、たたずむ、その時間が。二人だけの、仲間だけの、家族だけの秘密。
ぼくは今日こっちに来てはじめて、今月末に11歳の誕生日を迎える下の子にあてて手紙を書いた。
ものは送らない。ぼくの書いた文字と紙だけが、海を越えてとんでく。