マタのブログ

マタのブログ

サッカー・・・やら親爺の独り言

長良高校サッカー部を応援する「長良応援人」です。つい、ね。

ながら~~が、すき~~だから~~♪

NHKの「未解決事件」で、「名古屋主婦殺人事件」が

放送される寸前に犯人の安福久美子が逮捕されました。

 

この事件は、犯人の心情が意味不明で「なぜ、そんなことを」

「会ったこともない人物に、なぜ殺意をいだいたのか」

「夫も子供もいる順風満帆な暮らしを破壊したかったのか」

「公立大学に合格する程度の人物が、なぜそんなことを」

など、謎だらけでした。

 

 

 

犯行自体は、神戸の「オートロックすり抜け殺人」とほぼ同様。

 

「公立大学」というのがずいぶん引っ掛かっていたのですが

「東大には発達障害者が異常に多い」という事実もあり

万が一、受験勉強自体に興味を持った場合には有り得るのかと。

 

 

 

それ以降、ネット上で境界知能者本人が発信する動画や

テキストをかなり見てきました。

 

で、かなり納得。

 

 

 

人間観察が好きな人は多いと思います。

単に「この人、こんな風」とありのままを観察していると

どうにも理解しがたいことも多々あります。

 

そこに、「ひょっとしてこうかも」と仮定の上で観察すると

「やっぱり、そうなのかも」と納得することは多いと思います。

 

日々、そんな感じで観察しています。

 

 

 

昨日の記事で「おバカタレント」という単語を使いました・・

 

 

 

 
 
 
スーパーの現場でなら、「7個入り498円」の商品を
パックに詰めていったら、最後に半端が5個になったので
「5個入りでいくら?」というような場面は多々あります。
 
 
 

 
 
 
これ、AIの回答ですから!
 
 
 

 
 
 
地頭的に知能が低くても、やはり興味を持ったことについては
うまく出来るようになるようです。
 
 
 
「境界知能」だけで検索すると・・・
 
 
 
 
 
境界知能未満の「1%」を合わせると、人口の15%ですか。
 
 
 

 

 

 

「なぜ、そんなバカなことやってしまったのか」については

「将来の見通しを立てることが難しい」そのものです。

 

衝動的に「こうしたい!!!」と思い立ったことについて

「でも、実際にやっちゃったら、こうなってしまうかも」

という「将来の見通し」が立ってないから

衝動のままに、思いついたことをやってしまうのですね。

 

色々な人の不可解な行動に説明がつきます。

 

 

 

日々の人間観察でも、そのように観察しています。

思い込みではなく、様々な仮定で冷静に観察していると

一見「意味不明」な言動にもスッキリと説明がついたりします。

 

まともな人たちからすれば、迷惑千万でしかないんですけどね。

最近は、水曜日の夜9時といえば「上田と女が吠える夜」・・

 

 

 

 
 
 
タモリなんかと同じで、上田晋也が「生きてるだけで楽しそう」
なんで楽しい番組になっているんだと思います。
立場上、無理矢理盛り上げる言葉は多いけど。
(おそらく本人はもう少し落ち着いたトークが本望?)
 
こういう人が一人いるだけで楽しくなります。
 
逆に、こういう人が一人でもいないと、どんなに大勢でも
どんなに何かをしてみても楽しくはなりません。
楽しくないどころか、つまらなかったりします。
 
 
 
 
 
 
久保純子と大久保佳代子が「夜中に二回はトイレに行くよね」
ってところでは、二人が素になって共感していたり・・・
 
こういう素直な本音がもれていると、視聴者たちも
「ん~、確かに」と楽しい気分になってきたりします。
 
 
夕べは、この人がいい味を出していました。
 
 
タケシのような本音の毒舌三昧・・・
 
 
 

 

おバカタレントとしてレギュラーの若槻千夏。

 

「低学歴の世界」とか「残クレアルファード」サイドの

代表選手のような人ではありますが、素直でけれんみがない・・

 

 

 

「私、夢を見ないんですよ」(だったかな・・)

 

 

 

偏差値中程度以上の日本人なら「ん~なワケね~だろ」ですが

同時に「若槻だからなあ」「覚えてないだけなんだけどなあ」

というような気分だったと思います。

 

 

 

バシッと、「夢は毎晩見ています」(だったかなあ)

 

 

 

そうなんですよねぇ。

 

どんなに頭がいい人でも、夢を見て起きる瞬間くらいに

その夢を反芻しないと、夢の内容が思い出せなくなります。

 

 

 

個人的には、「君の名は」の創作動機は

「めったに見られない素敵な夢だったのに忘れてしまった」

という、ある意味でのショック(感動)を

どうしても人々に伝えたくなってしまったのかも・・・

 

とも感じたりします。

 

 

 

そのくらい夢って思い出せないくらいに忘れることがあります。

 

 

 

だから、若槻千夏が「私は夢を見ないんです」って発言したら

つい、あたたかく見守ってしまったりします。

 

 

 

で、その若槻が「夜中のトイレで眠れなくなる」ことについて

「私は目を開けないでトイレに行けば眠れることを発明した」

と発表したら、上田晋也が「俺もそれは発明していた」と応戦。

 

「私の方が先に言いました」てのが何とも若槻っぽい。

 

 

 

てなことも含めて、バラエティはたいてい苦手だけど

「上田と女が吠える夜」はきちんと見ていたりします。

 

上田晋也や林修がずいぶん頑張っても、つまらない人は

本当につまらないので、つまらない回もありますけどね。

(つまらない人はどこにでもいるけど、本当につまらない)

西加奈子の「きずもの」がいきなり加速し出して

クライマックスに向かって突進しているように感じます。

 

本当は昨日アップしたかったのですが・・・

 

 

 

 
 
 
 
自分の醜さと対峙するのは辛く、
自分の卑怯さを直視するのは苦しかった
 
 
 

 
 
 
 
 
だから書きたかった
 
誰かのためではなく、
もちろん申し開きでも言い訳でもなんでもなく、
自分がどのような環境にあって、どのような道を選んで、
どのような欲望に負け、
どのような間違いを犯してきたのかを書きたかった
 
 
 

いやあ、全くその通りです。

モノを書くような人たちはやはり同じです。

 

 

 

いわゆる「ノー勉」で、関関同立の偏差値の低い学部や

名古屋なら南山あたりに合格するような地頭の人たちなら

古いタイプの上場企業の社員ほどの倫理観や道徳観と

課題解決の適切な判断力を有していて

 

それで、おおよその子育てをやりとげたくらいの人生経験をし

たいていの艱難辛苦を知ったならほとんど悟るものです。

 

 

 

本当の自分の「正体」と向き合いたいのです。

 

真の自分を(若いうちは避けていた)知ることで、自分以外や

この世の出来事や森羅万象も見えてきます。

 

 

 

子育てを無事終えたら、もうあとは死を待つばかりです。

 

その待っている時間は、この世に真摯に向き合って

この世に(神に)誠実に存在していたくなるハズです。

 

 

 

私の場合は、人生で最も大切にしていた家族を、しかも一度に

失ったワケですから、もう希望も何もありません。

悟って当たり前の境地です。

 

安寧に平和に、真っ当に生きたくなって当たり前です。

 

 

 

そうなると、まともな人なら誰でも・・・

 

ウソはつきたくないものです。(小さなウソほど)

どんなに小さなうそでも、嘘つきは地獄行きですからね。

(何十年かかって築いた信頼も、わずかな嘘一つで崩壊する)

 

 

 

頭の悪い人は「地獄も天国もあるワケない!」と言いがちですが

それは自分の脳内にあって0.001秒が永遠だと知るべきですね。

 

おそろしいですよ。

臨死体験のある人ならお分かりでしょうが。

 

醜さと、卑怯さばかりの人の顔が浮かんできます。

昨日のニュースです。

 

 

 
 
 
 
東坂ハイキングコースって・・・
 
 
 

 
 
 
 
 
いつも使っていたコースでした。
 
車が停め放題だし、下山してから水道使えるし。
登り口は神社からなんだけど。
 
毎日登っていた時期もありました。
(登り25分、下り15分くらい)
 
 
 
 
 
 
 
その、よ〜く知っているコースのどこで
転落したんだろう。
 
 
 
よく登っていた頃の記事・・・
 
 
 
 
 
 
この、ハヤブサ撮り鳥観察隊が大挙しているちょっと先が
ゴツゴツの岩場で、頂上に向かって右側が崖になっています。
 
おそらく、そこだろうと。

(他に危険な崖っぷち的な箇所はないので)

 

 

 

確かに、フラフラしそうなお年寄りには

おすすめできない箇所ですが、その崖道は20m程度の距離。

 

左に迂回する道も併設されています。

 

 

 

中高年以上にありがちな一瞬のめまいが起きたやもしれないし

単に、勘違いで足を踏み外してしまったのかもしれません。

 

 

 

亡くなった女性よりは、まだずいぶん若いのですが

そうした最悪のケースは、どんな時も想定するように

何事につけても気をつけるようにしています。

 

「年寄りの冷や水」って言うんですかね。

いつの頃からか、常に脳内に表示されています。

身の程を知る、って感じで暮らしています。

 

 

 

昭和の時代は定年が満55才でしたが、満55才をすぎたら

ただの年老いたジジイとババアですからね。

 

自分がすでに醜い老人であることを自覚しないといけません。

第314回。

 

 

 

最後の・・

 

 

貢はそういったことを全て書こうと思っている。

そして書いている。

 

 

の、次に・・・

 

 

<終わり>あるいは<了>でもいいじゃん、と思っています。

 

つまり、個人的には西加奈子がどうしても言いたかったことは

この、「第314回」までに全て言い切っているように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

「高学歴の世界の人々」と「低学歴の世界の人々」

あるいは「残クレアルファード族」と「現金一括シエンタ族」は

お互いのことを、全く分かっていなくて分かり合えない・・・

 

しかし、前者が深く学習した場合には後者を分かり切る・・

しかし、その逆はあり得なくて後者は前者を全く理解できない

ということ、と、、、

 

 

並行して、、、新モンゴロイドである韓国人や朝鮮人や

日本人や中国人の多くの人々は、美しくない顔や肉体であり

西欧人の美しい顔や肉体には逆立ちしても勝てるワケはなく

それは、この世に生まれ落ちた瞬間から決まり切っている・・・

 

 

ということは厳然たる事実であって変わることはあり得ない・・

 

 

 

変わることはないのですが・・・

 

 

 

<抜粋>

 

それでも「変わってゆく」という現象は、

どうしようもなく寂しいものだと思う

 

それが自分に光をもたらす変化であっても、

「かつて得ていなかった何かを手にする」というような

復讐めいた何かが付随してくるのであれば、尚更寂しい

 

 

 

身の回りの、色々な人たちの顔が思い浮かんできます。

 

 

 

<抜粋>

 

無意識の記憶の改竄などを疑わず・・

 

自分に加害性があったかどうかなどに悩むことはないだろう

 

 

自分がいつの間にか身につけていた力をもってして、

誰かを傷つけていたのかもしれないと

懊悩する時間などないのだろう

 

きちんと惨めに生きている

 

どこまでも健やかだ

健やかに病んでいる

 

 

 

身の回りの、色々な人たちの顔が思い浮かんできます。

 

 

 

<抜粋>

 

自分にまつわるものを消すためには、

全て燃やしてしまったり、全て水没させたり、

そんなことが一番手っ取り早い

 

運動会に行きたくない子供が、

学校がなくなることを望むように

 

そう、それは他愛がなく、切実で、

危険で、とても凡庸な感覚だった

 

 

 

身の回りの、色々な人たちの顔が思い浮かんできます。

 

 

 

<再掲>

 

危険で、とても凡庸な感覚だった

 

 

 

身の回りの、特定の人たちの顔が思い浮かんできます。

 

 

 

<再掲>

 

「かつて得ていなかった何かを手にする」というような

復讐めいた何かが付随してくるのであれば、

 

 

 

ありがちで、ありふれています。

が、凡庸ですが危険です。

 

 

 

どんな風に生まれ落ちてきたとしても

そのように生きていることの方が全然健全で自然です。

 

有能に生まれ落ちてきた者はず~っと有能だし

無能に生まれ落ちてきた者はず~っと無能だし

魅力的に生まれ落ちてきた者はず~っと魅力的だし

醜穢に生まれ落ちてきた者はず~っと醜穢だし・・・

 

本来の姿に抗って「変える」者もいるだろうし

「老病死苦」的に「変わる」者もいるだろうけど

そこにはやはり寂しさが付きまとうものです。

 

 

 

並行して、余りにも違いすぎて分かり合えない場合

分かり合えないことは厳然たる事実なので当然です。

それはそれで、あるがままであるのが自然です。

 

こんな当たり前のことは、子供が独立するくらいの歳になると

なんとなく悟ってくる人たちもかなりいるものです。

 

一方で、そうでない人たちもかなりいます。

 

 

 

個人的には、自然であることが本人のしあわせにつながるし、

無理矢理、とか不自然、というのはやはり不幸につながるし、

やはり、自然であることが本来なんだろうと感じます。